述懐 (魏徴 作)
季布無二諾  侯贏重一言 
人生感意気  功名誰復論

季布無二諾 (きふ に にだく なく)
侯贏重一言 (こうえい いちごんを おもんず)
人生感意気 (じんせい いきに かんず)
功名誰復論 (こうみょう だれか また ろんぜん)
注 全20行の詩で、最後の4行を抽出したもの


 中国、唐王朝創業の臣の一人、いわゆる「貞勧の治」に功労のあった武臣、魏徴の作である。

 魏徴は、もともと唐の王朝とは反対の方の勢力についていた人間でしたが、時の皇帝太宗は、天下を統一した後、なんのこだわりもなく、魏徴を登用した。

 本来ならば、処刑されても仕方ないのに登用し、右腕のように用いたのである。これに感激して作ったのが、この詩で、全20行、画讃は最後の4行です。

 その意味するところは、

 「漢初の武帝季布は、一旦引き受けたことは、あくまで実行した。また、戦国時代の老隠者侯贏は、知遇を受けた主君への制約を守り、自ら首をはねて主君を励ました。そのように、私も己に果せられた任務を果たして恩義に報いよう。人生とは、金勘定ではない。手柄を立てようとか、お金儲けしようとか、そんなことは問題でない。心意気である。功名は、論外であり、そんなものは後世の人々が評価すればよい」

というもので、要は、「人生とは、意気に感じて生きるものだ」というのです。

 「古いな!」と感じるかも知れませんが、人生には、こういう一面があってもいいのではなかろうか。そう言っているようにも感じます。

 現代の人間関係は、余りにも索漠としており、味気ないのではないか。とはいっても、今のビジネス社会、利害得失のみを追求せざるを得ない世界では意気に感じてばかりでは、たちまち後れをとり、会社であれば倒産することになるでしょう。なかなか難しいところではありますが、それでも敢えていえば、人生には「意気に感じる」という面があってもいいのではなかろうか、いや、むしろ、あってしかるべきではないかと思うのです。