更  新  記  録
陰謀年表 参照一覧001


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参照 1

大東亜戦争』のシンボル、『平和の塔』 にかかる日本の陰謀

★『八紘之基柱(あめつちのもとはしら)
が完成。

(西暦 1940年11月25日
(旧暦:1940年10月26日
関連事件:
■ ソビエト連邦最高指導者ヨシフ・スターリンの誕生日。
■ 江戸幕府3代将軍・徳川家光の乳母、春日局の命日。
■ 天理教開教。

★『荒御魂(あらみたま)像
を祭る平和台公園が
都市公園として指定される。

(西暦 1957年4月9日
(旧暦:1957年3月10日
関連事件:
■ 日本の初代天皇神武天皇の命日。
■ 奈良の大仏の開眼供養。
■ 陸軍記念日。
■ アルカイダ指導者・オサマ・ビンラディンの誕生日。

★『荒御魂像』が復元される。
(西暦 1962年10月5日
(旧暦:1962年9月7日
関連事件:
■ アナーニ事件。フランス王がローマ法王を捕囚(ほしゅう)。
■ キリスト教がフランスの国教としての地位を失う(フランス革命)。
■ 映画007シリーズ第一作『007 ドクター・ノオ』がイギリスで公開。
■ ビートルズ、レコード・デビュー。シングル『ラブ・ミー・ドゥ/
P.S.アイ・ラヴ・ユー』。

映画007シリーズにかかる日本の陰謀

★アルバート・R・ブロッコリ
007シリーズの映画プロデューサー。

(西暦 1909年4月5日 - 1996年6月27日
(旧暦:1909年2月15日 - 1996年5月12日
関連事件:
■ 元明天皇が平城京造営の詔を布告。
■ 大坂夏の陣で徳川家康が駿府を出発。
■ 江戸城の無血開城。
■ 戊辰戦争(ぼしんせんそう)終結。

★映画007シリーズ第一作
007 ドクター・ノオ』が
イギリスで公開。

(西暦 1962年10月5日
(旧暦:1962年9月7日
関連事件:
■ アナーニ事件。フランス王がローマ法王を捕囚(ほしゅう)。
■ キリスト教がフランスの国教としての地位を失う(フランス革命)。
■ 『大東亜戦争』のシンボル、『平和の塔』に
『荒御魂(あらみたま)像』が復元される。
■ ビートルズ、レコード・デビュー。シングル『ラブ・ミー・ドゥ/
P.S.アイ・ラヴ・ユー』。

★映画『007は二度死ぬ』が
公開される(英国)。

(西暦 1967年6月12日
(旧暦:1967年5月5日
関連事件:
■ この映画のスタッフ一行が羽田空港で搭乗する予定の英国海外航空911便は、富士山山麓に墜落した(下記参照)。一行は、忍者術の披露が急遽行われることになり、九死に一生を得た。
■ 大化の改新。
■ 桶狭間の戦い。
■ 徳川家康が大坂夏の陣の為に京都・二条城を出陣。

★カナダ太平洋航空402便
着陸失敗事故(羽田空港)。

(西暦 1966年3月4日
(旧暦:1966年2月13日
関連事件:
■ この事故の翌日、映画『007は二度死ぬ』のスタッフは羽田空港でもう一つの航空事故に遭遇する(下記参照)。
■ 日本の初代天皇神武天皇の誕生日。

英国海外航空機空中分解事故

(西暦 1966年3月5日
(旧暦:1966年2月14日
関連事件:
■ 同機には映画『007は二度死ぬ』の監督ルイス・ギルバートなどスタッフの要人が搭乗する予定だったが、出発の2時間前になってそれまで都合がつかなかった忍法指南による忍者術の披露が急遽行われることになり、この5名はフライトをキャンセルする。数時間後、同機遭難の知らせをうけた一行は青ざめ、「これが二度目の命だ」と胸を撫で下ろしたという。
※ この航空機事故は、犠牲者などの点で、日本の陰謀の特徴をよく示す事件だ。
■ 聖武天皇の国分寺・国分尼寺建立の詔
■ 征夷大将軍・坂上田村麻呂に築城命令。
■ 北条時宗が鎌倉幕府執権になる。

★映画007シリーズ第13作目
『007 オクトパシー』公開。

(西暦 1983年6月6日
(旧暦:1983年4月25日
関連事件:
■ 壇ノ浦の合戦。平家一門が滅亡。
■ 蒙古襲来。弘安の役。
■ 第一次世界大戦勃発。
■ ノルマンディー上陸作戦。

★大韓航空007便撃墜事件。

(西暦 1983年9月1日
(旧暦:1983年7月24日
関連事件:
■ 大韓航空007便がロシア空軍の発射したミサイルで撃墜される。この事件は、直前に公開された007シリーズ第13作目『007 オクトパシー』のパロディ。オクトパスは「八」を意味し、八紘一宇を連想させる。同日、以下の事件が起こっている。

■ ロッテが「チョコパイ」を発売。「半生ケーキ」という新ジャンルを確立。ロッテの創業者は、在日韓国人。「チョコパイ」は、北朝鮮で人気が高い。
■ THE GOOD-BYEがレコードデビュー。その歌詞は航空機撃墜を強烈に示唆する。
■ テレビ愛知(TVA)が開局。もちろん徳川一族のお膝元。

★第1回 ピースボート83、
「反核をたたかう太平洋の島々と交流する船旅」。

(西暦 1983年9月2日
(旧暦:1983年7月25日
関連事件:
■ 前日、大韓航空機が樺太上空で行方不明になっており、韓国国内は騒然となっていた。後日、ソ連空軍機により撃墜されたことが判明する。ピースボート設立者の辻元清美は誕生日が済州島四・三事件と一致することから、この事件の報復の疑いが大きい。当事者は、済州島から関西方面に密入国したと言われる。

■ 徳川家康。今川氏と絶縁して松平元康から松平家康に改名。
■ 日清戦争開戦。


ビートルズにかかる日本の陰謀

1940年7月7日 リンゴ・スターの誕生と日本の「七・七禁令」(奢侈品等製造販売制限規則)施行
1940年10月9日 ジョン・レノンの誕生とセント・ポール大聖堂のナチス・ドイツ空軍空襲。
1943年2月25日 ジョージ・ハリスン誕生日に日本陸軍少佐、飛行第64戦隊長明楽武世(あけら たけよ)チンスキア上空で戦死。
1947年1月8日 イギリスのミュージッシャン・デヴィッド・ボウイの誕生日は、大東亜戦争を記念する大詔奉戴日。1970年代、ジョンレノンはデヴィッド・ボウイと親交を深めた。
1963年3月22日 ビートルズ初のアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」が発売。この日は、ナポレオン皇帝就任を記念して、日本の元号が享和から文化に改元された日
1964年2月11日 ビートルズは、米国初代ワシントンの生誕232周年を記念して、日本の建国記念日にワシントンでアメリカ初のライブコンサートを行った。
1966年6月28日 ビートルズ来日と台風4号
1969年1月30日 ビートルズ最後のライブ・コンサートは、元禄赤穂事件・吉良上野介邸討ち入りの日。
1969年3月20日 ジョン・レノンとオノ・ヨーコが結婚。平氏討伐にかかる日本の陰謀の日
1980年1月16日 ポール・マッカートニーが大麻取締法違反(不法所持)で現行犯逮捕される(日本・成田空港)。
1980年12月8日 ジョン・レノン暗殺は日本とオノ・ヨーコの陰謀だ


フランス王フィリップ4世

★フィリップ4世がフランス国王に
就任する。

(西暦 1285年10月5日
(旧暦:1285年9月6日
関連事件:
■ 文永の役。元軍が対馬・壱岐に初来襲。
■ フランス革命で、キリスト教がフランスの国教としての地位を失う。
■ 『大東亜戦争』のシンボル、『平和の塔』に『荒御魂像』が復元
される。

★フィリップ4世が戴冠式を
行なう。


(西暦 1286年1月6日
(旧暦:1285年12月10日
関連事件:
■ 吉野山中で源義経と別れた愛妾・静御前が鎌倉幕府方に捕縛
される(ちょうど100年目にあたる)。
■ 室町幕府が成立。足利尊氏が建武式目を制定。
 (ちょうど50年目にあたる)。
第1回ノーベル賞授賞式

★フィリップ4世死去。

(西暦 1314年11月29日
(旧暦:1314年10月21日
関連事件:
■ 平将門の乱:新治郡川曲村の合戦 。
■ 富士川の戦いで、源頼朝と源義経の兄弟が初めて対面。
■ 関ヶ原の戦いが行われ徳川家康率いる東軍が勝利。


地蔵松原元寇防塁 じぞうまつばらげんこうぼうるい)/rp>

貝塚駅の南南東約300m、JR鹿児島本線を挟み、東西にある元寇防塁。箱崎地区は薩摩藩が分担して防塁を築いたという記録があり、現在は一部土塁状の高まりが残っている。平成5年に試掘調査を行った際は、防塁構築石材が出土した。東側の多々良川河口には乱杭を打ったといわれている。線路西側の地蔵松原公園に説明板が建っている。
元寇・防塁の跡

しかし、再度の来襲に備えて準備をしておかねばならぬ事は誰の目にも明らかだった。幕府は、九州のご家人に、九州北部の海岸線に石築の堤防を築く事を命じる。これには裏話がある。実は鎌倉幕府は、文永の役直後、先手必勝として高麗に攻め入ろうとするのである。九州と安芸のご家人に「異国征伐」の準備の命令が下り、大宰府の長官を総大将として、総勢数万の軍団を編成し、渡海して高麗を滅ぼそうとする構想であった。しかしこれには九州のご家人達は賛成せず、あれこれ理由を付けては命令に従うことを渋った。そこで幕府は、異国征伐に参加できない者は、博多で防衛用の石塁を造れと命じたのである。これには多くが従い、異国征伐の件はそのうち沙汰止みとなった。幕府が本気で異国征伐を計画したのか、今となっては謎であるが、ともあれ防塁は完成した。

ご家人達は、領地1町につき長さ1尺の防塁建設のノルマが課せられた。博多湾の西から、今津地区=日向・薩摩藩、生の松原=肥後、姪浜=肥前、博多=筑前・筑後、箱崎=大隅、香椎=豊後、が分担し、建治2年(1276)3月からわずか半年で完成させた。諸国では老若を問わず領民を動員し、博多湾の各所から切り出した石の石積み作業に従事させた。
糸島半島今津「史蹟・元寇防塁

文永の役(1274年)の後、鎌倉幕府は元軍の再襲来に備えて防備を固めるため九州の御家人に命じて博多湾一帯に石塁を廻らした。石塁の総延長は西は糸島半島今津から東は海の中道の袂の香椎まで20kmに及んだ。半年間の突貫工事だった。糸島半島今津地区の防塁築造を命じられたのは、薩摩藩大隅の御家人島津家。今も今津地区に防塁が約3kmにわたって残されている。ここの石塁の構造は、底部幅3m・天端幅2m・高さ3mに石を積み上げ、内部は石や砂で充填するもの。この防塁は劇的な戦略的効果を発揮した。果たして元軍は1281年に再襲来したが(弘安の役)、博多湾岸一円に張り巡らされた石塁に度肝を抜かれ警戒心が過剰となって殆ど上陸しないままに一夜大風に翻弄されて大船団を壊滅させられ、博多湾から消え去った。

・マンサ=サクラ
アフリカ雑貨アザライ


マリ帝国第六代皇帝。奴隷として生まれ後に解放されたサクラはマリ帝国の建国者スンディアタ=ケイタの将軍として頭角をあらわし、マンサ=ウリの死後後継者争いで国が乱れた10数年間に力を蓄え、1285年に王座を奪った。1300年メッカ巡礼の途中、現ジブティのダナキル沙漠にて盗賊に襲われ殺害された。

サクラの統治のもとマリは国力を取り戻し、再び領土を拡張。後のマンサ=ムサ王(在位1312~1337年)によるマリ帝国最盛期の基礎を築いた。
・マリ帝国

13C?~15C末にかけて現在のマリ共和国、ギニアの版図を中心に繁栄したマリンケなどマンデ系民族の帝国。豊富に取れる金をもとでに、サハラ縦断交易により繁栄した。

マリ帝国はもともとガーナ王国の辺境に当たる現ギニア北東部ニアニ、カンガバを領土とする小王国であリ、ガーナ王国の宗主権下にあった。マリ王国の起源ははっきりとはしないがマリがアフリカ史を代表する大帝国となる数世紀前にはすでに成立していたと思われる。

ガーナ王国崩壊後の動乱の時代を経て、ガーナ王国の旧領を支配したのはテクルールの王スマングルであったが暴政をしいたため国情は不安定であった。スマングルの支配下にあったカンガバの王スンディアタ=ケイタは、キリナの戦いにおいてスマングルを破りガーナ王国の旧領の支配権を確立した。スンディアタが王位についた1230年頃から彼の国は「王の住まう所」を意味するマリと呼ばれるようになった(マリはカバの意味であるといわれ、マリ王家:ケイタ一族のトーテムはカバである)。

スンディアタの後継者たちはさらに領土を拡張し、アフリカ史上最も有名な大帝国を築き上げた(二代皇帝マンサ=ウリの死後10数年間混乱が続いたがマンサ=サクラの代に国力を回復した)。

マリの繁栄は1310年頃に即位したマンサ=-カンカン=ムーサの治世に最盛期を迎える。カンカン=ムーサはサハラ縦断交易ルート、ニジェール河水運、サヘルの交易都市、南の森林地帯の金産地を掌握し広大な領土の隅々まで皇帝の支配をいきわたらせた。

サハラ縦断交易の利益により繁栄したマリ帝国の富を示すエピソードとして、マンサ=ムーサ(カンカン=ムーサ)王が、メッカ巡礼の途中立ち寄ったカイロ(エジプト)で湯水のように金(きん)をばらまき、そのためカイロの金相場が何年にもわたって混乱したというものがある)。ニジェール河中流の交易都市トンブクトゥやジェンネは交易の利益で栄え、トンブクトゥにはサハラ以南最古といわれる大学が創立され、文化、経済の中心地として黄金の都とたたえられた(政治的な首都・王都ではない)。

1360年頃からマリの繁栄に陰りが見え始める。暗君、暴君が数代続き、15Cに入るとガオのソンガイ人の反乱,トゥアレグのトンブクトゥ攻略、セネガンビアの反乱、モシの反乱と、内憂外患が続き、領土の大半を失い16Cにはガオに起こったソンガイ帝国の一地方領主となっていた。

アラブ人が伝えたマリ帝国の富と繁栄(前述のムーサ皇帝のカイロでの逸話など)は遠くヨーロッパにまで鳴り響き、ヨーロッパ人による19Cの西アフリカ内陸探検の動機のひとつとなった。マリ帝国の創始者といわれるスンディアタ=ケイタの伝説は、現在でもギニア、マリなどのマンデ系民族の間で語り継がれている。

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