『坊っちゃん』現代調意訳 全文 坊っちゃんはこちら

夏目漱石作 訳大和青史
これはKindleのサンプルお試し版で読める範囲の坊っちゃんの第1章まるまるです。興味がおありでしたら、つづきもぜひどうぞ!

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一『坊っちゃん、おれが 坊っちゃんだ!登場篇』

 父親ゆずりのむこう見ずで考えなし、おまけに曲がったことがでぇっきれえな性格なんで、ガキのころから損な役まわり。あれは小学生の時だった。校舎の二階から飛びおりて、着地のショックで一週間ほど足腰が立たなくなったことがある。なんでそんなバカなまねをしたんだ、って?理由は…特にない。新築の校舎の二階の窓から顔を出していたら、同じクラスのやつに「お前いつもえらそうにしてっけど、さすがにそっからは飛びおりることなんかできねーよな、ヒャハハ!」とからかい半分で言われたから、である。用務員さんにおぶわれて家に帰るとオヤジが目ん玉ひんむき「二階から飛びおりたぐらいでなんだ!情けないやつめ」とぬかすんで「じゃあ次からは、ちゃあんと飛んで見せたらあ!」と言ってやった。
 親戚の人からもらったポケットナイフが、良く切れそうだなあと思って、ギラギラした刃を太陽にすかして見ながら友達に自慢したら「ギラギラして切れそうに見えっけど、本当に切れんのか?なまくらなんじゃねーの?」と言われたんで頭に来て「そんなわきゃねーだろ、じゃあ何でも切って見せたるぜ」と言ったら、「ふーん、じゃお前の指でも切ってみ?」と言うんで、意地になって「よし、切ったらあ!」と右手の親指から手の甲をななめにスパッと切りこんで見せてやった。まあ、さいわいナイフが小さかったのと、指の骨が硬《かた》かったんで、親指は手から外れずにすんでいる。でも、傷あとは一生残ってしまった。(われながらアホだな)。
 話は変わるが、家の庭は東の方に20歩あるいて行き止まり、そこから南に上がった場所でちょっとした家庭菜園をやっていて、畑のまん中に栗の木が植わっている。これはおれにとっては命よりも大事な栗なのだ。栗の実が熟して落っこちるころになると、朝イチで家の裏口から飛び出して行き、ひろってそれを学校に持って行って食うのだ。だが、この菜園の西側が山城屋《やましろや》という質屋と庭が続いていて、この質屋には勘太郎《かんたろう》という名の13、4才位の息子がいた。こいつが弱っちいくせに、竹垣《たけがき》を乗りこえて人んちの栗を盗みに来やがんの。ある日の夕方、物かげに隠れて犯行現場を押さえて勘太郎を捕まえてやった。勘太郎は窮鼠《きゅうそ》猫をかむ、ってやつで追いつめられて逃げ場をなくし、あろうことかおれに飛び掛かって来た。向こうが2才年上だし、弱っちいくせしてバカ力のもちぬしなんである。てっぺんが真っ平ら(笑)な不格好《ぶかっこう》な頭を、子牛みたいにグイグイとおれの胸に押し付けて突進して来たんだが、それがツルンとすべっておれの着物のそで口にすっぽりハマっちまった。おれは腕がきゅうくつで動かせねえんで、ブンブンと振り回してやったら、あいつの頭もそれにつられてグルングルン動いて、気持ち悪くなったんだろうな、逃げようとしておれの腕にかみつきゃあがった。あんまり痛かったんで、奴を竹垣に押し付けて足を引っかけて押し倒してやったぜ。山城屋の庭はおれんちの菜園よりも2メートルは低い。勘太郎は竹垣もろとも真っさかさまに自分ちの庭に落ちて行った。へ、ざまあ。あいつが落ちて行く時におれの着物のそでがもげてあいつといっしょに落ちていった。その夜、母親が山城屋にあやまりにいったついでに、おれの着物のそでも持って帰って来たのは言うまでもない。
 このほかにもいたずらはいっぱいやった。大工んちの兼やんと魚屋んとこの角を連れて、茂作んちのニンジン畑を荒し回ったことがある。畑にはニンジンの芽がまだ出そろってないし、ちょうど藁がしいてあったんで、こりゃいいやと三人で半日相撲を取ったんである。そしたらニンジンをみんな踏み荒らしちまった。古川さんちの田んぼの井戸を埋めちまって、弁償したこともある。それは、ふっとい孟宗竹《もうそうだけ》のふしをくりぬいてストローみたいにしたのを、土に深く埋めるとそこから水がわき出して、それがその辺の稲に掛かる仕組みだった。そのころはおれもバカだったからそれがどんな意味を持ってるかなんて知らんし、石とか棒切れとかをギュウギュウに竹の中につめこんで、水が出なくなったのをたしかめて家に帰った。晩ご飯を食べていたら、古川さんが怒りくるって顔をまっ赤にしてどなり込んで来た。その時は確か賠償金《ばいしょうきん》をしはらって穏便《おんびん》にすませた気がする。
 オヤジはおれを少しもかわいがってくれなかったし、母親は兄貴ばっかり溺愛《できあい》していた。(この兄ときたら色白で、芝居の女形《おやま》のまねをするのが異様に好きな変態ヤローだった)オヤジはおれを見ると「こいつは将来、ろくでなしにしかならん」と言った。「乱暴で不良で行く先が思いやられるわ」と母親も言った。なるほどろくなもんじゃねえ。ごらんの通りで、行く先が思いやられたのも無理はねえ。なんとか刑務所にだけは入らずに生きてるよ。
 母親が死ぬ二、三日前のことだった。台所で宙返りをして、流し台の角であばらをしこたま打って痛くてさわいでいたら、母親がものすごく怒って、「お前の顔なんか見たくない!」と言うんで親戚の家に泊まりに行った。すると、とうとう死んだ、という知らせが来た。そんなに早く死ぬとは思わなかった。そんなに重病だったんなら、もう少し大人しくしていれば良かったと思いながら家に帰った。すると兄貴が「おまえは親不孝ものだ。おまえのせいで母さんは早死にしたんだ」とい言った。くやしかったんで兄貴の横っ面を張り倒したら、ものすごく怒られた。
 母親が死んでからはオヤジと兄貴と三人で暮らした。オヤジと言う男は何も出来ないし、やらない男で、そのくせ人の顔を見ると「お前はダメだ、ダメだ!」と口ぐせの様に言っていた。何がダメなのかいまだにわからん。変なオヤジがいたもんだぜ。兄貴は実業家になるんだと英語ばっかり勉強していた。女みたいな性格で、小ずるいやつだからおれとはあんまり仲が良くなかった。十日に一回の割合でケンカもしていた。ある時、将棋を指したらひきょうにも待駒を打っておきながら、人が困るとはやし立てる。なもんだからアッタマに来て、手元の飛車を顔面に投げつけてやった。見事にヒットし額がパックリ割れて流血。…オヤジにつげ口しやがった。するとオヤジはおれと親子の縁を切り勘当《かんどう》すると言い出した。
 『もうこうなったらジタバタしねえ、言う通りに勘当されてやろうじゃねえか、』と腹をくくっていたんだが、十年来家に住み込んでいるお手伝いの清《きよ》が、泣きながらオヤジにあやまってくれたんで、オヤジの怒りもとけたのだった。こんな事があってもおれは、オヤジをこわがる気持ちは持てなかった。この清に対しては悪いことをしたな、とすまなく思っただけである。この清というのは元々は由緒《ゆいしょ》正しい家柄の生まれだったそうだが、維新の時に旧体制が崩壊《ほうかい》してから家が落ちぶれて、ついには働きに出なければならなくなったと言うことだ。だから婆《ばあ》さんである。この婆さんがどういうわけか、おれをかわいがってくれた。おかしなもんである。母親ですら死ぬ3日前に愛想をつかした---おやじも年中持てあます様な---近所では不良の悪たれと呼ばれてまるで相手にされない、---『このおれを、』である。おれは元々人に好かれるような性格じゃねえと思っていたから、人から悪しざまに扱われるのには慣れていたのだが、この清みたいにベタベタとチヤホヤされるのは納得が行かねえのだ。清は時々台所で人のいない時に「あなたは素直でまっすぐな良い性格だ」とほめてくれることがあった。だけどおれにはそれが信じられなかった。だってそうだろ?もし本当にそうなら、他の人たちも清みたいにもう少しおれに優しく良くしてくれても良さそうなもんじゃんか。だから清がそう言うたびに、「おせじなんか真に受けるほどおれはバカじゃねえよ、」と言ってやった。わが子の様におれを自慢に思ってるらしい清が、頭おかしいんじゃねえの?と思ってた。
 母親が死んでからというもの、清の態度はますますエスカレートした。時々、子供心に何でこんなにかわいがってくれるのか理解出来なかった。ムダだからよしゃあ良いのに、と思った。かわいそうにも思った。それでも清はやめねえ。折に触れて自分の金で、おまんじゅうやらおせんべいだのおやつを買ってくれる。寒い夜は内緒で牛乳を買っておいて、寝る前にあったかくして持って来てくれる。時には屋台のラーメンまで買って来てくれた。食いもんだけじゃない。靴下や色鉛筆やノートももらった。これはそれよりずっと後だが、金を三万ほど借りた事がある。貸してくれと頼んだわけじゃない。むこうからおれの部屋まで来て「おこずかいがなかったら困るでしょう、使いなさい」とくれたんだ。もちろん、おれは「いらねえよ」と断ったんだが、「いいから、」と言うんで借りた。実はマジに助かった。だが、それを財布に入れてトイレに持って入ったら、便器の中に落としちまった。ぎゃー、しまった!ボットンのくみとり便所だったので困って、ちょっとグダグダになりながら清にわけを話すと、清はさっそく竹の棒を探して来て、「取ってあげます」といった。しばらくすると手洗い場でザアザアと音がするんで見てみたら、竹の先を財布のストラップに引っ掛けてそのまま洗っていた。それから中のお札を見てみたら、茶色の染《し》みが付いて万札の模様《もよう》も消えかかっていた。清はストーブでかわかして「これで良いでしょ」と差し出した。ちょっと臭いをかいでみて、「くせえじゃん、」と言うと「それじゃ両替しますよ」と、どこでどう間違ったのか、三倍の値段の記念銀貨を持って来た。これは何に使ってしまったのか覚えていない。今に返すから、と言ったっきり返してない。今となっちゃ十倍にして返したくとも返せなくなっちまった。
 清が物をくれる時は、オヤジも兄貴もいない時だった。おれは何が嫌かって、人に隠れて自分だけが良い思いをすることが許せない。兄貴とは仲良くなかったが、だからといって隠れておれだけお菓子だの文房具だのもらって良い思いをしたくない。「何でおれだけにくれて、兄貴にはやんないの?」と清に聞いたことがある。すると清は澄《す》まして「お兄さんにはお父さんが買ってあげてるんだから良いんですよ」と言う。これって不公平じゃね?頑固オヤジだが、そんな差別はしないだろ。だが、清の目にはそう見えるらしい。まったく、愛情で目がくもっている状態ってことなんだろうな。まあ、家柄は良いけどあんまり世間知らずの婆さんだから仕方ないんだが、これだけじゃない。色眼鏡ってのはほんとに恐ろしいね。清はおれが将来、出世して大物になると思い込んでいた。そのくせ勉強ばかりしている兄貴は、なまッ白くて将来は役立たずになるだろうと決め込んでいた。こんな婆さんにあったらかなわねえわ。自分が良いと思った人間は大物になって、嫌いなやつは落ちぶれ果てると信じこんでいる。おれはその当時、将来何になるとかゼンゼン考えてなかった。でも、清がこれほど言うんだから、何かにはなれるんじゃないかと思っていた。(今考えるとアホらしいが)ある時ためしに清に「おれは将来どうなると思う?」と聞いたことがある。ところが、清にも具体的な想像図なんかなかったようだ。ただ、外車を乗りまわして門構えのりっぱな豪邸《ごうてい》に住むにちがいないと言った。
 それからおれが独立して一国一城《いっこくいちじょう》のあるじになったら、ついて来るつもりらしかった。「どうか私を置いてくださいね」と何べんもくり返していうんで、おれも何だか豪邸でも何でも持てるような気がして「ああ、置いてやるよ」と返事だけはしておいた。しかし、この女は夢見がちな女で、「どこらへんがお好きですか。麹町?それとも麻布?お庭にはブランコでも置きましょうね。洋室は1つでいいですからね」などと勝手に将来設計《しょうらいせっけい》している。その時は家なんかいらねえし、と思っていた。「洋館だか和菓子じゃねえ和室だか、とにかくおれには必要ないからいらねえよ、」といつも清にはそう言っていた。すると「あなたは本当に欲のない、心のきれいな人」といってまたほめるのだった。清は何かにつけておれをほめる。
 母親が死んでから五、六年はこんなかんじで暮らしていた。オヤジにしかられ兄貴とケンカし、清にはお菓子をもらって時々ほめられる。これでじゅうぶん満足していた。ほかのやつらもだいたいこんなもんだろう、と思っていた。ただ、清が口ぐせみたいに「なんてかわいそうな、不幸な坊っちゃん」とか言うもんだから、ああ、おれはかわいそうで不幸なんだろうな、と人ごとみたいに思っただけだった。それ以外は問題がなかったんだが、ただ1つオヤジが小遣いをゼンゼンくれねえのだけは参ったぜ。

 母親が死んでから六年目の正月にオヤジも脳卒中で死んじまった。その年の四月におれは某・私立中学校を卒業し、兄貴は六月に商業学校を卒業した。兄貴は某社の九州支店につとめ口があったんでそっちに行かなきゃなんなかった。が、おれは東京でまだまだ勉強を続けたかった。兄貴は「財産を全部処分してからあっちに行く」と言い出した。「ま、いいんじゃねえの」とおれは言っておいた。兄貴の世話になる気は無かった。面倒見てやるんだからとか言って、おれにムチャクチャな事を言うに決まってるからだ。世話になるために卑屈《ひくつ》に頭なんかさげられっかよ。新聞配達でも何でもやって生活して行こう、と覚悟を決めた。兄貴は業者を呼んで、先祖伝来の家宝一式を二束三文《にそくさんもん》で売り払った。家はある人の紹介で金持ちに売り払った。これはだいぶ良い金になったらしいが、くわしくは知らん。おれはその一ヶ月前から、今後のメドがつくまで神田の小川町にあるアパートを借りていた。清は十何年暮らした家が、人手に渡るのをくやしがったが自分のもんじゃないから仕方ない。「あなたがもう少し年を取っていれば、相続できたのに」と何とかならないものかとクドクド言っていた。が、もう少ししてもらえるんなら、何で今もらえねえんだ?もらえるもんなら今だってもらえるだろう。婆さんだからその辺の理屈が分からないらしく、おれが年取れば自動的に兄貴の家がもらえるはずだと思っているらしかった。
 おれと兄貴はそうやって別れたが、問題は清だった。兄貴はもちろん連れて行けるご身分じゃねえし、清も兄貴にくっ付いて九州くんだりまでは行かねえだろうし、かと言っておれんとこだって四畳半一間でせまっ苦しいうえに、そのうちそこも出て行く事になるかも知れん様なざまである。どうしようもねえ。で、清に聞いてみた。「どっか別の家につとめるか?」と聞くと、「あなたが家を買って結婚して奥さんをもらうまでは、しかたがないから甥《おい》のところでやっかいになりますよ」とようやくそう言った。この甥っていうのが裁判所の書記官をやってる高給取りで、清に何度も一緒に暮らそうと言ってくれてたんだが、清はたとえ使用人でも住みなれた家の方が良いからと断っていた。だが、今度ばっかりは新しい環境で働いて気苦労するよりも、甥の世話になった方がまだマシだと思ったんだろう。にしても、早く嫁をもらえの家を持てだの来て世話してやるだのと言うんだから。あんなに親切な甥よりも、なんで他人のおれの方が良いんだろうな?
 九州に出発する2日前、兄貴がやって来た。三百万出して「これを元手にして商売を始めるなり、学資にして勉強を続けるなり、好きにしろ。その代わり後は知らん」と言った。まあ、兄貴にしては上できじゃね。三百万位、もらわんでもどうってことねえし、困ってねえし、と思ったがいつになくキッパリしたやり方が気に入ったんで、礼をいってもらっといた。兄貴はそれから二十万出して「これを清に渡しておいてくれ」と言ったんで、おれは気持ちよく引き受けた。2日後、新橋のホームから見送って以来兄貴には会ってない。
 おれは金の使い道について(寝ながら)考えてみた。商売ったって、色々と面倒くさそうだしそう上手く行くもんでもないし。始めるにしたっても三百万じゃ足りなくね?それに学歴がないと商売をやってもバカにされるのがオチだろう。とゆーわけで、これを元手に勉強に使おうと思う。三百万を三で割って百万。一年に百万使うとして三年は勉強できるってわけだ。三年間、一所懸命に勉強すれば何かやれるようにはなるだろ。どこの学校に入ろうか?と考えたが、元々おれは勉強があんまり好きじゃねえ。英語だとか文学だとかは冗談じゃねえ。だって、新体詩なんかやらされたりしたら、二十行あるうちの一行もわからねえのにどーすんだ?でもどうせ嫌いならけっきょくは、何をやったって同じことじゃね?、とも思った。が幸いと言うか、物理学校の前を通ったら生徒募集の貼り紙があった。おおっ、これも神のおみちびき?と、案内書一式をもらって即入学の手続きを取った。今思うとこれも、親ゆずりの勢いだけの考えなし、な性格がまねいた失敗…だったな。
 三年間一生懸命に勉強はしたものの、頭の出来はあんま良くねえから、ケツから数えた方が早いような成績だった。だが、三年たつと自然に卒業出来た。こんなんで大丈夫なのか?と思ったが、誰にもどこからも、何もツッコまれなかったんで大人しく卒業しておいた。
 卒業してから八日目に、校長から呼び出しをくらった。何の用だ?と思って行ってみると「四国の中学校で数学の先生を募集している。給料は二十万円だ。行ってみる気はあるかね?」ということだ。おれは三年間勉強はしたものの、別に教師になろうとかいなかに行こうとかは考えたこともない。だが、教師にならなかったら何になるっていうあてもなかったんで、「行きます」とその場で決めちまった。これも親ゆずりの…略。
 引き受けちまった以上は、行かなきゃしょうがねえ。この三年間、四畳半に引きこもってからは、文句の1つもいわれなかったし、ケンカもしなかった。おれの一生のうちで比較的《ひかくてき》おだやかな生活を送った時期だった。しかし、こうなったらここも引き払うしかねえか。生まれてから東京以外の場所に行ったのは、鎌倉に遠足に行ったくらいだ。今度は鎌倉どころじゃねえ。僻地《へきち》に行かされる。地図で見てようやく肉眼で確かめられるって、どんだけえ?、な所なんだよ!どんなとこで、どんなやつらが住んでるんだかまったくわからねえ。まあ、わからなくても困らねえけどな。行くだけだし。その行くだけ、がけっこうめんどくせえんだけどな。
 家を売り払ってからその後は、清の所にもちょくちょく行っていた。清の甥という人はすごく良い人だった。おれが訪ねて行ってたまたま家にいたら、おれを色々ともてなしてくれるのだ。清はおれを前に置いて、おれの自慢話を甥にさんざん聞かせる。今に学校を卒業したら麹町あたりに家を買って、お役所につとめるんだ、と言いふらした事もある。こんな風に一人で勝手に決めて、話を大きくふくらませるから聞いてるこっちの方がこっぱずかしくなるぜ!ってことも一度や二度だけじゃねえよ。もうね、おれが小さいころに寝ションベンたれたことまで話すんで、あきれてなんも言えねえ。甥さん、聞いててどう思っただろうな?ただ清は古風な女だったから、自分の大事な坊っちゃまなら、甥にとってもそうだろうと勝手に思っていたに違いない。甥さんにはいい迷惑だぜ。
 いよいよ約束の日が迫って、出発の3日前に清を訪ねたら、風邪をひいて北向きの三畳間に寝ていた。が、おれを見るなり起き上がり「坊っちゃん、いつお家を買うんですか?」と聞いて来た。卒業すればすぐに大金が手に入るとでも思ってんのかよ。だいたいそんならそういう偉え人をつかまえて坊っちゃん呼ばわりすんのはいいかげんヤメれ。「おれは家は当分持たねえ。それから遠いいなかに行くことになった」といったら、がっかりしてうつむいてしらがまじりの髪を手でとかし続けた。それがあんまり寂しそうでかわいそうだったもんで「行くことは行くけど、じきに帰る。来年の夏には帰る」となぐさめた。それでもしょぼくれた顔をしてるんで「何か土産でも買って来てやるよ。何が良い?」と聞いたら、「新潟の笹飴《ささあめ》が食べたいです」という。新潟の笹飴なんて知らねー、聞いた事もねー。第一どっちの方向だよ!「おれの行くいなかの方には、笹飴はないと思うよ」といってやったら、「え、じゃあ、どちら方面に行かれるんですか?」と聞くので「西方面だ」と答えた。「それは箱根の先ですか?手前ですか?」という。あら?やだっ、地理オンチ!
 出発の日には朝から来て色々と世話を焼いてくれた。来る途中に雑貨屋で買って来たらしい、歯みがき粉やら爪楊枝《つまようじ》やらタオルなんぞをリュックに入れてくれた。「そんなもんいらねえよ」と言っても聞かない。電車がプラットホームに入って来て、それに乗り込んだおれの顔をジッと見て、「もう会えないかも知れません。お元気で」と小さな声で言った。目には涙がたまっていた。おれは泣かなかった。もうちょっとで泣く所だったけど。電車が動き出して、もう良いかと思って窓からのぞいて見たら、清はやっぱりまだそこに立っていた。何だかすごく小さく見えた。

 二 「坊っちゃん、とゆかいな仲間たち!いなか篇」

 三 「坊っちゃん、教壇に立つ!教師篇」

 四 「坊っちゃん、はじめての宿直!闘争篇」

 五 「坊っちゃん、バーボンハウスに飛ばされる!疑惑篇」

 六 「坊っちゃん、やるか ゴルア!ケンカ篇」

 七 「坊っちゃん、萌え!マドンナ篇」

 八 「坊っちゃん、出世?だが、ことわる!陰謀篇」

 九 「坊っちゃん、キャッキャウフフ!送別篇」

 十 「坊っちゃん、土佐おどりを見る!引率篇」

 十一「坊っちゃん、天に代わっておしおきよ!さらば、帰郷篇」

の全十一章から成っております。つづきはこちらから!余談ですが、成田からジェットスター航空が松山に就航したので、機会があれば格安で坊っちゃんの名地めぐりにでも行ってみたいと思います。もちろん、天ぷら蕎麦と団子を食べて温泉に入って泳いで(←NG)みたいですね。