柳田國男の弟子の様な折口信夫です。柳田先生は、癇が強い人だったらしく最終的に結構人が離れて行ってるのですが、よほど尊敬していたのか絶対に我慢はしていたと思われますが、この人は刃向かう事も無かった様です。こういう民俗学に関する事と言うのは、結論が出にくい学問ですんで、本の内容も結論というか終わり方が唐突なカンジがするのですよ。しかし、私は読みながらこんな風に妄想したりしております。
著者セントラルの【著者近況その31】より
今回は妄想対談です。わたくし大和青史と折口信夫です。
〜ごろつきの話、についての対話〜
(大和)しかし、むかしの人は博学ですね。柳田國男氏といい、南方熊楠氏といい、折口さんといい。わいへん、なんて知りませんでした。催馬楽だとか、うづ=宇都、だとすると宇都宮って、ものすごく貴重なほどにまれなうつくしいお宮のある所って意味だったり。彼らの本は知識の宝庫ですね。私も日々勉強ですよ。
(折口)まあ、昔は今様な娯楽も少なかったですしね、知的娯楽が一番手軽であるし、奥深く長く続けられるものなのです。とはいえ、勉強と言ってもただ本を読んでいるだけではありませんけど。
(大和)それはなよたけの解釈、ですね。知識人は文化的なものもお好みでしたね。今ですと、劇団何とかとか歌舞伎座とか演劇場、申し訳ないんですが、私はそちらは明るくないので判りません。代わりに映画はまあまあ見てますが。
(折口)演劇ですと、ああいう人間の生身の息づかい、身振り発声に触れるのは、非常に活力になりますよ。大変に刺激を受けるものです。キネマでは少々それが弱いですね。ただ、物語の中で超人間的な事はできますが。
(大和)いわゆるCGですね。技術はどんどん進歩してますけど、代わりにウソ臭さも増大してますよ。虚仮威し的な?それとどうなんでしょう?ああいう劇は私も皆無ではないんですが、小さい所だと演者が素人臭いし、大劇場だと演者が見えにくいし、痛し痒しな状況です。見る側の態度と言うか意気込み、も小劇場と大劇場ではかなり違いますね。
(折口)うーん、素人臭いは手厳しいな。場所よりも演者の力量によるでしょう。ちなみに、それは誰ですか?
(大和)あ、それは。すいません。その時は、熟練した演者ではなかったですね、アングラというか。失念してました。小劇場でも一流の役者達の演劇を見る機会がありました。それは、確かに素晴らしかったですね。目線までしっかり見れたし。感情の流れが読めるというか...。
(折口)それは勉強になったでしょう。一流のものというのは、例え目指す先が違ったとしても、何かしら得る物はあるものです。どんどんご覧になるべきです。
(大和)私の尊敬する手塚治虫先生も、本を読み映画を見るべきとおっしゃってます。それを思い出しましたよ。
(折口)新しいものを吸収する、好奇心を持つって大事ですよ。常に今様を意識する。私も今生きていたら、夢中になっていたかも知れませんね。流行りのネットに。笑
(大和)なるほど。今様といえば、この本の中のごろつき、ですけど今様に言うとすなわちDQNの事ですよね?
(折口)DQN?何ですかソレ?
(大和)あっ!、それは昔テレビの番組で、説明--略--。
(折口)そうですか、そうするとやはりそれが今様のごろつきである、ということになりますね。
(大和)それと、この画像のこれは少し前の不良、いわゆるアプレゲールと申しますか、私に言わせりゃイカレポンチの他に何モノでも無いですけどね。
(折口)詰め襟?裾が異様に長いな。ほうほう、裏地も信じられない色使いですね。これは背中に刺繍ですか。これは彫り物の暗喩とも考えられなくもないかな...。こちらは、えっ?成人式?ずい分古風ですね。羽織袴とは、田舎の金持ちですか?ええっ、これが普通、普通のDQN、あ、ごろつきというよりもこれらはもう、歌舞伎ものですね。威嚇的であり目立つものであるときちんと認識できますしね。
(大和)そうそう、私もそう思いましたよ。乱暴者で派手で目立つ服装、これは長ランと言うもので、こちらの特攻服なんかも...
(折口特攻!戦争はもういかんですよ。
(大和)いえいえ、違います。これは特攻服と呼ばれている服で、族の小競り合いで鉄砲玉の役割を果たすというシルシですね。たまにソレで死んだりしてますので、意味合いには正しいのかもしれませんが、大義や目的には雲泥の差が認められるものです。
(折口)ほう、すると本当に歌舞伎者ですね。彼らも後にごろつきになり、傭兵になって後に出世して行った。戦いには名義はありますが、どれも実質は大同小異のつまらないものですよ。人は人を傷付けると、同様に自分も傷付けているものです。自覚が有る無しは別として。
(大和)だから戦争に行った人はおかしくなるんですね。人は戦うべきではない、とこれは横道にそれますので置いておきますが。今の世の中ではごろつきは、傭兵にはならないですね。世の中の構造が、そう単純には行かなくなりまして、傭兵になるにも育成学校があります。ごろつきが戦いの兵士にもなりうる、今の自衛隊に入るというのは、最近はあまり聞いた事がありません。世の中がもっと進むと、ごろつきとは別種がなり手になるでしょう。そしてなぜか今は兵隊になりたがる者も多いです。実際戦争になるとその数はどうなるか?疑問ですが。
(折口)平和な世の中で成り立つものもある、んでしょう。とすると、彼らがなるものは人入れか任侠ですね?しかし、今の世の中が進むと、兵隊になりたがる者がどういう種類に変わるか、というのは実に興味深いです。
(大和)ご明察通りに、体力仕事の土木土建関係を立ち上げたり、暴力団にはいったり、しますね。お説の通りです。なぜ今様のごろつきが兵隊にならずに、その他の階級?まあ組み分けされる人の層ともいうべきものですが、今でいうニートと呼ばれるものがいったい何に相当するとお思いですか?
(折口)うーん、わからない。昔は総領の土地をもらえないもの、戦に負けて土地を取られたものが、放浪してごろつきになったのですが、現代とあなたが呼ぶ所の世界では、そうはならない。なぜなら、昔は死活問題であったからです。すなわち、かれらは放浪するのは食べて行くためだったのですが、今のそのニートは何もしなくても、十分に生きて行ける状況があるのでしょう?だから昔は外に出ていた者が、今は中に引きこもる。まったくの逆の現象ですよね。
(大和)生きておられたら、この風俗の謎にご興味がおありになって研究されたのでは?
(折口)いやいや、比較するまでもなく、自己の主体性が失われると、エネルギーのはけ口として暴力的になり、戦いに走る。生死を体感する事で、自己もまた生きているという実感を確認する、というね。前に言われたごろつきの代わりとなり、戦いに参加したがる人種はそれから出ているかも知れませんね。
--略---
以上妄想対談でした。
色々とつづく