妹蟲


 

 あー、あぢぃー。

 ちくしょー、エアコンけちりやがってー、ばかあにきー……

 香織は四畳半の真ん中に転がって、うつろな眼でテレビを眺めていた。

 扇風機は回っているものの、窓も雨戸も閉まっているので、生温かい空気をかき混ぜているだけだ。

 ついでというわけではないが、明かりも消してあるので、テレビがこの部屋の唯一の光源である。

 香織は昼間、テレビの前から動くことはほとんどないから、暗闇でも困らない。

 それならば、電気代を節約できるから、明かりは点けていないのだけど。

 では、雨戸まで閉めている理由は――

 そんな香織の「姿」を、他人の眼から隠すためだった。

 ブラウン管の蒼い光に照らされた香織の顔は、ぱっちりとした眼に、形のいい鼻と口。

 長い黒髪はさらさらで、人形のように愛らしい。

 まぎれもない美少女であった――首から、上は。

 だが、その首から下は。

 手足のない、肉塊のような胴体に、乳房が何対も並んでいた――さながら、芋虫の「腹脚」のように。

 胴体の先には剥き出しの無毛の女性器が、ぱっくりと淫靡な口を開けている。

 巨大な芋虫のような――あるいは、でき損ないの「大人のおもちゃ」のような、その「身体」で。

 香織は座椅子に寄りかかって、テレビを眺めているのだった。

 他人の眼には「化け物」と映るであろう。彼女の、その姿は。

 

 

 それは「奇病」という言葉では生ぬるい、異常で猟奇的な病気だった。

 性交渉による感染率は、ほぼ100%(唯一、妊娠中の女性だけは感染しないとされていた)。

 そして発症すれば、手足は萎縮してやがて消滅し、胴体は芋虫のように変形する。

 感染した女性の七十二時間以内の発症率も100%。

 それでいて、男性は発症せず、自覚症状もない。

 それが、この病気が一般に知られるようになるまでに、被害が拡大した理由でもある。

 最初の発症者が確認されたドイツの街の名前にちなんで《ニュルンベルク病》と呼ばれるその病気は、

 日本では「特別重要指定感染症」とされ、感染者は男女とも「保護収容」措置がとられることになっていた。

 香織も、ここにいることが見つかれば、そうした扱いを受けるだろう。

 彼女を匿って(かくまって)いる、兄の祐介ともども。

 

 

 テレビでは断崖絶壁の前に立った真犯人が、お約束通り事件の真相を告白していた。

 そろそろサスペンスの再放送も終わる時間。

 祐介は、じきにアルバイトから帰って来るはずだ。

 香織の食事の世話のために。

「はああ……」

 思わず、ため息が出た。

 毎日、こんな生活をしている自分は、何のために生きているのだろう。

 この「身体」では、携帯でメールも打てないし、ゲームもできない。

 だから一日中、テレビを観ているしかないのだけど、自分ではチャンネルさえ変えられない。

 食事や入浴の世話まで、祐介にさせて(トイレは自分で風呂場まで這って行ってするけど)。

(……でも、いまさら、しょうがないじゃんか)

 ダークな考えを頭から追い払おうと、首を振る。

 自分は、すでに祐介の人生を犠牲にしている。

 いまさら死にたいと考える権利は、自分には、ない。

 祐介にとって「世話の焼ける妹」であり続けること。

 それが、いまの自分の存在理由だろう。

 サスペンスが終わって、何本かのCMのあと、ニュース番組が始まった。

 ちょうどそのとき、外で自転車のブレーキの軋む音がした。がたがたと、スタンドを立てる音も。

 祐介が帰って来たのだろう。あんなにブレーキがうるさいオンボロ自転車は、ほかに誰も乗ってない。

 とんとんと、外の階段を上って来て、がちゃがちゃ鍵を回す。

 ドアが開いて、外の光が差し込み、

「たでーまー」

 祐介が部屋に入って来た。

 すぐにドアを閉め、それから玄関と台所兼用の明かりを点ける。祐介の姿が、照らし出された。

 すらりとした長身に、妹と似た面影のある端正な面立ち。

 よれよれのパーカーとジーンズという格好でさえ、さまになって見える美少年。

 その兄に、さっそく香織は毒づいてみせた。

「あちーよアニキ、なんでエアコン点けてかねーんだよ。あと、ニュースつまんねーよ、チャンネル変えろよ」

「何ほざいてんだ、人が帰って来るなり。先に『おかえり』くらい言え」

 仏頂面をする祐介に、香織は、にっこり微笑んで嫌味たっぷりの口調で、

「お帰りなさい、お兄様。香織はこの地獄の釜のようなお部屋で、お兄様のお帰りを待ちわびておりましたわ」

「エアコンは八月まで待てって言っただろ」

 祐介は靴を脱いで、狭い台所を横切り、四畳半に入って来た。

 もわっと、甘く湿った匂いが祐介の鼻をくすぐる。人ではないモノに変じた、香織の体臭だ。

(やっぱ一日中、部屋を閉めっぱなしだからな……)

 可哀想だとは思うが、ぎりぎりの予算で二人が生活していることも事実なのだ。

 嫌味を言う余裕があるうちは、我慢してもらうしかない。

「電気、点けるぞ」

 ひとこと断ってから、電気の紐を引っぱる。ぱちぱちと蛍光灯が瞬いて、明かりが点り――

 香織の姿が、露わに照らされた。

 芋虫と女体が融合したような、何対もの乳房が並ぶシュールアートのような肉体――

 祐介が振り返ると、香織は、びくりと身を震わせた。

 その愛らしい顔に不敵な笑みを浮かべ、兄を見上げているけれど。

 瞳が不安げに揺らいでいるのを見れば、作り笑いであることは、すぐにわかる。

 たとえ恋人同士でも、女は明るい場所で裸身を晒すのを恥らうものだ。

 まして、香織の身体は異形のモノ。

 己の姿を光の下で晒すことに、なお抵抗があるのだろう。

 そんな内心を押し隠そうと、香織は精一杯、強がっている。

 だから祐介も、それに付き合って、本心ではない毒のある言葉を妹に投げつけた。

「……相変わらずブスだな。やっぱ電気消しとくか?」

「はあっ?」

 香織は、眼をむいた。

「ちょっと何よ、それ!」

 祐介は返事をせずに、台所へ出て行く。

 追いすがろうとした香織は、座椅子の上で身じろぎして――

 どさりと、うつぶせに床に倒れ込んだ。

 その音に、流しの前に立って鍋に水を張っていた祐介が振り返り、

「暴れてんじゃねーよ」

「うるさいっ! さっきの言葉、もういっぺん言ってみなさいよっ!」

 香織は声を荒らげて、手足のない身体をよじりながら、台所へ這って来ようとする。

 ――芋虫さながらに。

 祐介は、にやりと意地悪く笑って、

「悪かった。お前、『顔だけは』かわいいもんな。訂正するよ、『性格ブス』」

「まっ、まじムカついた! このっ、バカアニキッ!!」

 香織は言葉だけは勇ましく、だが芋虫のような姿では、のろのろとしか進めない。

(……くそっ! ちくしょうっ!)

 本気で悔しくなってきた。涙が出そうになった。

 祐介が、わざと意地悪を言っていることは、香織にもわかっている。

 でも、やっぱり「ブス」と言われれば頭にくるではないか、女として。

 挙げ句に「顔だけはかわいい」呼ばわりとは。

 それって絶対、禁句だろう。いまの「この姿」の自分に対しては。

 せめて、足に噛みつくくらいしてやりたい。歯形から血がにじむくらい思いきり……

「…………」

 祐介が、すたすたと自分から近づいて来た。

 キッと睨み上げる香織に、真顔の祐介は、その場にしゃがんで、

「暴れるなっつーたろ、バカ香織」

 言うなり、香織の顎の下に手をやって顔を上げさせ、そこに自分の顔を近づけて、唇に唇を重ねた。

「…………!」

 香織は、驚きに眼を見開き――

 だが、すぐにその頬は赤らみ、恍惚とした表情で眼を閉じる。

 ――長いキスを終えて、祐介は顔を離した。

 香織は、潤んだ眼で兄の顔を見上げ、

「ずるいよ、バカアニキ……」

「うるせー。すぐメシ作るから、大人しく待ってろ」

 祐介は立ち上がり、台所へ戻って行く。

 だが、背を向ける前にちらりと見えた彼の顔も、確かに赤くなっていた。

 食事の支度を始めた祐介の背中を眺めながら、香織は、くすっと笑う。

(ほんと、バカなあたしたち。大好きなのに、お互い素直じゃないんだから……)

 言われた通り、夕飯ができるまで、いい子で待っていよう。

 のそのそと床を這って、テレビの前に戻り、座椅子によじ登って、ごろりと体を仰向けにする。

 一瞬、バランスを崩して転げ落ちかけたけど、なんとか椅子の上にとどまった。

「はあ……」

 自分の芋虫みたいな体の、一番先――両脚を失ったいまは「股間」とも呼べないその部分に、眼をやる。

 ぱっくり開いた口の奥に、ピンク色の肉襞が、ぬらぬらと濡れ光っていた。

(やっぱ、ずるいよ、バカアニキ。「あたしの身体」が感じやすいの、わかってキスするんだから……)

 香織は頬を赤らめる。

(チャンネル変えてもらうの忘れたけど、まあいいか……)

 キスで火照った脳ミソでは、何の番組でも同じこと。どうせ頭に入らないのだから。

 

 

 ドイツを皮切りに欧米各国に《ニュルンベルク病》の被害と、それに伴うパニックが広がったのは半年前だ。

 国内への波及も間近いと考えられたが、当時の日本政府の対応は、愚かしいほど後手後手に回った。

 感染者は隔離するべきか。隔離するならどの施設に収容するか。発症しない男性感染者はどう扱うか。

 感染予防策は「行きずりの性交渉はしない」ことに尽きるが、それをどうやって国民に呼びかけるか。

 何一つ決められないまま、国内に数千人の感染者を出す事態になった。

 香織は、いわばその犠牲者だった。もちろん、当人にも責任がないとはいえないが――

 

 

 祐介の作った夕食は、キャベツ炒めをのせたインスタントラーメンだった。

 一つの鍋に二人分作って、香織の前に用意した座卓に、鍋のまま運んで来た。

「わーい、今日もまたラーメンね。あたし、ラーメンだーいすき」

 ニコニコして言った香織に、祐介は、ぶすっとした顔で、

「おまえは食わねーでも、いーから」

「ちょっと、どうしてそういうイジワル言うかなー?」

「うちにいまコメがねーの、知ってるだろ? 給料日まで待てっつーの」

「だから三食インスタントラーメンでも喜んであげてるんじゃないか。いじらしい妹だと思わない?」

「全然。ほら、バカがバレるようなこと言ってないで、『抱っこ』するぞ」

「あ……、うん」

 途端に香織は、頬を赤らめて眼を伏せる。

(こいつ、こんなときだけ可愛い顔しやがって……)

 祐介は思ったけど、またケンカになりそうだから、口には出さず。

 香織の脇にしゃがみ、彼女の背中と腰の下に手を入れて、その身体を抱え上げた。

 そして、自分が座椅子に座り、あぐらをかいた膝の上に香織を乗せてやる。

 そのとき、香織の「どれかの乳房」に手が触れてしまって(胴体が乳房だらけだから仕方ないのだが)、

「あ……」

 香織は、ぴくりと身を震わせ、小さく声を上げた。

 からかってやりたかったけど、赤くなってうつむいている香織の横顔が見えたから、祐介も何も言えず。

 妹の身体を抱える腕に、ほんの少し、力を入れた。

(こいつの身体、やわらかくて、あったけーよな……)

 それに、髪もいい香りだった。

 使っているシャンプーは同じだけど、自分の髪はこんな香りはしないと思う。髪の長さの違いだろうか。

 その香織が、口を開いた。

「……ちょっと、アニキ」

「あん?」

「前、硬くなってるの、当たってる。ジーンズ越しに」

 祐介の「それ」が、香織の尻に当たっているのだった。香織は、くすくす笑って、

「アニキってば、あたしを『抱っこ』しただけで欲情してるの?」

「うるせー、バカ香織。黙ってろ」

 祐介は、香織の首筋に、髪の毛の上からむしゃぶりつくようにキスをした。

「あっ、ちょっ、くすぐったい、あはは」

 香織は笑って身をよじるが、身体を抱えている腕にしっかり力を入れられてしまって、逃げられない。

「やめやめ、やめてってば、髪によだれがついちゃう、あははは……」

「……やめた」

「えっ?」

 きょとんとして香織は、顔を上げた兄を振り返る。祐介は箸を手にとって、

「ラーメンのびるし。先に食うべ」

「……もうっ、バカアニキッ!」

 言葉では怒ってみせたものの、つい顔は笑ってしまう。

 祐介の膝に座って、一緒に食事をするのが、香織にとって幸せな時間の一つだった。

 もう一つ、幸せなのは――もちろん、祐介とのセックスだ。

 すでに「発症」している香織と、感染者である祐介には、もはや何のリスクもない。

 祐介は、自ら望んで感染者になった。

 感染源は、香織だった。

 

 

 半年前――

 その日、祐介が予備校から家に帰ったのは、普段と同じ、夜の九時半過ぎだった。

 祐介は高校三年生で、国公立大学の法学部への進学を希望していた。

 父親は自分で法律事務所を構えている弁護士だが、父親の跡を継ごうと考えたわけではない。

 離婚や遺産相続という民事事件が専門の父親は、毎晩、帰宅は十一時を過ぎていた。

 母親も事務仕事を手伝っていて、十時を過ぎなければ帰らない。

 都内で庭付き一戸建てに暮らせる程度は高収入だけど、忙しさを考えれば、割に合う仕事とは思えなかった。

 法学部を志望したのは、文系の学部の中では一番、箔がつきそうだからという消極的な理由だ。

 自分の将来を決めるのは、もう少し先でいいんじゃないかと、祐介は考えていた。

 家に着いてみると、明かりがついていなかった。

(香織のやつ、帰ってねーのかな……?)

 香織は高校一年生である。私立の女子校に通っていて、校則でアルバイトは禁止だという。

「そんなの、みんな守ってない」とは言っていたけど、自分も一緒になって校則を破る勇気はないだろう。

 バイトじゃなければ、友達と遊んでいるのかだけど。

(まー、あいつ要領いーし。オフクロが帰るまでには、帰ってくるだろ)

 たいして気にとめず、玄関の鍵を開けた。

 すると、玄関に香織の通学靴があった。片方ひっくり返った、「脱ぎ捨てた」という状態だ。

(え……?)

 祐介は、眉をひそめる。いつもの香織なら考えられないことだった。

 香織は基本的に優等生だった。兄の前では悪ぶってみせることもあるけど、それも口先だけのこと。

 母親の代わりに家事はするし、自主的に十時と決めた門限も守る。

 部屋はいつだって綺麗に片付いているし、靴は必ず揃えて脱ぐのだ。

 胸騒ぎがした。

 自分も靴を脱ぎ捨てて、すぐに二階に上がり、香織の部屋の外から声をかけた。

「香織? 帰ってんのか?」

 返事がない。

 だが、ドアノブを回そうとすると、鍵がかかっていた。

 香織は部屋にいる。絶対、何かあったのだ。

「おい!」

 もう一度、声をかけ、ドンドンと強くドアを叩く。それでも返事がない。

「……くそっ!」

 何があった? 友達と喧嘩? もしかして、失恋? 返事くらいしろっての。

 声を聞けば、おまえがどの程度の「落ち込み具合」かわかるから。付き合いの長い兄妹だから。

 ――突然、人気の女性ヴォーカルの曲が流れて、どきりとした。

 自分の携帯の着メロだった。発信者を見ると、母親だ。祐介は電話に出た。

「はい?」

『――あ、祐介?』

 母親の声。父親ともども、今日は泊まり込みの仕事になりそうだという連絡だった。

(なんだって、こんな日に……)

 腹が立ったけど、香織がどんな事情で「引き籠もって」いるかわからない以上、迂闊なことは言えない。

 祐介は適当に相槌を打って、さっさと電話を切ろうとした。香織のことは、自分で何とかするしかない。

 どころが、母親のほうから、その香織のことをたずねてきた。

『――ところで、香織は帰って来てるの? 携帯、通じないんだけど』

「えっ? ああ……」

 何と答えたものか迷ったけど、結局、当たり障りのない返事にした。

「うん、家にいるよ」

『そっか。じゃあ、よろしくね。二人とも、あした学校、遅刻しないように』

「わかってるよ。じゃあね」

 祐介は、電話を切った。

「……はあっ」

 ため息をついて、香織の部屋のドアにもたれかかる。

「……お兄ちゃん……?」

 か細い声がドアの向こうからして、祐介は、どきりとした。ドアに向き直り、声をかける。

「香織?」

「……たすけて、お兄ちゃん……」

 泣いているような、泣きすぎて声が枯れたような、震えた声。

 祐介はドアノブを回そうとして、しかしまだ鍵はかかっていて、ドアを殴りつける。

「おい、鍵あけろよ!」

「……あけられない。立てないの……」

 声を震わせている。

「……くそっ!」

 祐介はドアに拳を叩きつけ、しかしそれだけでは、ドアはびくともせず。

「下がってろ、香織!」

 叫ぶなり、片足を振り上げて、ドアノブの真下辺りを足の底で蹴りつけた。

 ……その寸前、「待って」という香織の声がしたような気もしたが……

 ――バンッ!

 ノブが吹っ飛び、ドアが勢いよく開いて。

「――みゃあっ!?」

 ドスンと、途中で何かにぶつかって、止まった。

 祐介は部屋に駆け込んだ。

 明かりの消えた部屋。ベッドの上、机の前、床の上……どこにも香織の姿は、ない。――いや。

「……いたぁ〜い……」

 途中で止まったドアの陰を、祐介は恐る恐る、覗き込む。

 そこに、香織がうずくまっていた。

 いや、本当に香織なのか? 長い黒髪、セーラー襟の白ブレザーという制服は、確かに香織のもの。

 だが、子供のようにずんぐりむっくりの短い手足は……?

「……お兄ちゃん……」

 香織が、顔を上げた。間違いなく、香織の顔だったけど。

 涙でぐしゃぐしゃで、頬に髪の毛が貼りつき、おまけに鼻血を流している有り様だった。

 ――あとで考えれば、その鼻血は、祐介が蹴飛ばしたドアで鼻をぶつけたせいだったが――

「香織、おまえ……」

 祐介は、愕然とした。ドイツで流行している《ニュルンベルク病》のことは、ネットやテレビで知っていた。

 手足の縮んだ香織の姿は、まさしく《ニュルンベルク病》の初期症状ではないのか?

「……病院へ、行こう」

 祐介は言った。

 まだ国内の感染者が報じられていないその病気に、香織がなぜ感染したのか、わからない。

 いや、性感染症である以上、原因は一つしかないのだが、いまはそれを追求している場合ではない。

「……やだよ……」

 香織は、首を振った。その眼に涙があふれた。

 祐介は声を荒らげて、

「嫌だって、おまえ、それ例のドイツの病気だろ!? 放っておいたら、体が芋虫みたいになって……!」

「……ムダだよ、あたしだってニュースくらい見るもん。どこの国でも、治療法が見つからないって……」

「じゃあ、おまえ、どうするんだよ!?」

 祐介は怒鳴った。

 どこに怒りをぶつけていいかわからず、結局、香織を怒鳴りつけるしかなかった。

 優等生が聞いて呆れた。勝手にそう思っていた自分がマヌケだった。

 香織も普通に「女」だったのだ。自分だって中学一年で童貞を卒業したから、香織を非難できないけど。

「……ママに、知られたくない……」

 香織は言って、泣き出した。

 祐介は、立ち尽くすばかりだった――

 

 

 それから、どれだけ香織は泣いていたのか。

 泣きすぎて涙も声も枯れたか、けほけほと、乾いた咳をし始めた香織に、祐介は言った。

「……家出するか?」

「……え……?」

 香織は顔を上げて、「けほっ」と咳き込む。

 祐介は妹の前にしゃがみ、その髪を、くしゃくしゃと荒っぽく撫でた。

「オフクロに知られたくないんだろ? だったら、どこかに身を隠すしかないじゃん」

「……どうやって? あたし、芋虫になっちゃうんだよ……?」

「俺が連れて行くから」

「……お兄ちゃん、が……? なんで……?」

「おまえが、こんな病気になったなんて、俺もオフクロに知らせたくない」

「…………」

 香織は兄の顔を、まじまじと見つめる。

 それが本心なのか? 確かに世間並みに母親思いの兄ではあるだろうけど。

(……そうじゃなければ、あたしのため……?)

「レンタカー、借りてくる」

 祐介は言って、立ち上がった。

 五月生まれの祐介は、夏休みの間に車の免許をとっていた。

「……え、あの……」

 やっぱり病院に行く。香織は、そう言おうと思った。自分の我がままに、兄を巻き込めない。

 でも、言えなかった。兄が一緒に逃げてくれるのなら、そうしてほしかった。

 香織のセックスの相手は、兄の友人だった。

 何度か家に遊びに来たその彼と、兄が見ていない隙にメルアドを交換して、付き合い始めたのだ。

 自分のほかに何人も付き合っている女の子がいることは知っていた。それでも構わなかった。

 兄と違って遊び人だけど、それでも気が合うらしい、兄の親友。

 いや。兄に黙って、その妹に「手をつけた」くらいだから、本当の親友だったのかは、わからない。

 とにかくその男を、香織は好きになったのだ。

 兄に似ていると思ったから。

 ――そう。香織が本当に好きなのは、祐介だった。

 仕方なかった。自分の知るかぎりで一番格好いい男が、兄だったのだから。

 幼い頃から一緒に育った兄妹ならば、相手のいい面も悪い面も知り尽くしている。

 だから、普通の兄妹は、恋愛感情など抱かない。理想や幻想が入り込む余地がないからだ。

 もちろん香織も、祐介の悪い面は知っていた。

 一番悪いのは、ぶっきらぼうな態度だ。それでいつも誤解を招く。前の彼女と別れた原因もそれだ。

 その人のことは、香織も好きだった。可愛らしくて、優しくて。

 彼女になら、兄を任せてもいいと思った。なのに、別れてしまった。

 だから――やっぱり、兄の悪い面も含めて全てを理解できるのは、自分しかいないと思った。

 そう考えてしまう自分は、普通ではないのだろう。

 でも、普通じゃなくて、何がいけないんだろう?

「兄貴や弟を好きになるなんて、気持ち悪い」

 雑誌やマンガの話題で近親相姦の話が出ると、友達はみんな、そう言った。

 そのくせ、香織の兄のことは「カッコイイ」と、もてはやす。

「カッコイイお兄さん」の妹である香織は、どうリアクションすればいいのだろう?

 照れ隠しに兄の欠点をあげつらえばいいのか?

 開き直ってカッコイイ兄を自慢すればいいのか?

 どちらも嫌だった。香織は、真剣に祐介が好きなのだ。

 友達が祐介の話題を出すたびに、耳を塞ぎたくなった。

 祐介はあたしのモノ。あんたたちには指一本触れさせない。そう言って、皆を黙らせてやりたかった。

 だから――

 祐介と一緒に家出できるなら。祐介を、自分の我がままの道連れにできるなら。

 それこそ祐介を、自分だけのモノにできるということではないか。

 部屋を出て行きかけた祐介に、香織は呼びかけた。

「……お兄ちゃん……」

 振り向いた祐介に、香織は眼に涙をためて、しかし笑顔で、言った。

「……ありがとう……」

「…………」

 祐介は答えず、ただじっと香織の顔を見つめて、それから部屋を出て行った。

 

 

 祐介は、自分の感情をどう整理していいかわからなかった。

 妹が「人類史上最悪の病気」に冒され、芋虫に変貌し始めていること。

 妹も「女」だったと思い知らされたこと。

 それが、同時に起きたのだ。

 衝撃。怒り。哀れみ。失望。いろんなモノがない交ぜになって、頭の中をぐるぐる渦巻いている。

(香織は……あいつは、どうなんだ?)

 自分の身体が、芋虫のように変わってしまうことを、どう受け止めているのだろうか。

 母親に知られたくない、それだけを口にしていたけど。

(俺だったら、もっと泣き叫んで、気が狂う寸前かもしんねーけど……)

 いや、香織も恐らくそうだったろう、自分が家に帰るまでのあいだは。

 だから、泣きすぎて枯れたような声で、泣き腫らした顔で、いたのだろう。

 そして、帰って来た兄に、「たすけて」と言った。

 そう。香織は、ほかでもない祐介に、救いを求めたのだ。

(だから、俺が助けてやるしか、ねーじゃんか……)

 香織を連れて家を出ること。いまは、それしかなかった。

 身体が芋虫に変化し始めて、一番混乱しているのは、香織本人のはずだ。

 その彼女が、母親には知られたくないと言っている。

 その気持ちを汲み取ってやるしかない。少なくとも、いまこの場では。

 二人で家を出て、それから先のことは、香織の気持ちが落ち着いてから考えればいい。

 いまは、香織が望むとおりにしてやろう。

 そう決意すると、自分の気持ちも落ち着いた。

 両親は明日まで帰らない。

 とりあえず車を借りて来て、必要な荷物をまとめて、香織を車に乗せて……

 時間は、充分にある。

 祐介は靴を履いて玄関を出て、ドアに鍵をかけた。

 レンタカー屋は駅前にあった。祐介は、駅へ向かって歩き出した。

 

 

 そして、二人は家を出た。

 借りて来た車は軽自動車だった。料金が一番安いからだ。

 ハンドルは当然、祐介が握り、香織は毛布を巻いて身体を隠させた上で、助手席に座らせた。

 家からは、ありったけの現金を持ち出した。全部で三十万ほどで、当面の出費はまかなえるだろう。

 預金通帳には手をつけなかった。そこまでしたら親も困るだろう。

 両親には、あとで手紙を出して詫びるつもりだった。

 香織には悪いけど、やっぱり何も知らせないわけにいかない。

 こちらの事情がわかれば、もしかすると両親も、無理して自分たちを探そうとしないんじゃないか。

 そんな甘い期待もあった。家出人として警察に手配されることは、できれば避けたい。

 出発前に、小学校以来の友人の高橋京子に電話した。

 高橋の父親はヤクザの組長だった。

 高橋自身は「普通の女子高生」を自称しているが、ヤバイ話を面白おかしく聞かせてくれる事情通だった。

 挨拶もそこそこに、祐介は用件を切り出した。

「――なあ、身元の詮索とか一切ナシで、部屋を紹介してくれる不動産屋に心当たりないか?」

『はあっ?』

 電話の向こうで、高橋は笑った。

『何よいきなり、あんた駆け落ちでもすんの?』

「……ああ」

 そういうことにしておこうと思い、祐介はうなずく。

 高橋は、驚くというよりも可笑しそうに、

『え、ちょっとマジ? あんた、もうじき受験でしょ? 東大受けるんじゃないの?』

「東大は受けねーけど、まあ、いろいろあって……」

『そりゃまあ、いろいろなきゃ、駆け落ちなんかしないだろうけど。でもさあ……』

「あん?」

『久しぶりに電話してきて、用件がそれかい? あんた、あたしを何だと思ってる?』

「マブダチ」

 祐介が答えると、高橋は『はあっ?』と声を上げ、それから、くすくす笑い出した。

『まっ、いいや。連絡先調べて、すぐ折り返し電話するから……』

 

 

 高橋は、約束通りすぐに電話をくれて、不動産屋の連絡先を教えてくれた。

 不法滞在の外国人を主な顧客にしているが、いちおうカタギの業者なので安心していいらしい。

 祐介は礼を言って、電話を切った。

 不動産屋は明日、訪ねることにして、今夜は人気のない河川敷にでも車を停めて夜を明かすつもりだった。

 その計画は香織にも伝えてあった。

「……お兄ちゃん」

 助手席の香織が、口を開いた。

 ハンドルを手に、祐介はきき返す。

「あん?」

「高橋さんと……お兄ちゃん、エッチした?」

「……はあっ?」

 祐介は、あきれて香織の顔を見た。こんなときに何を言い出すのだ、こいつは?

 香織は、まっすぐフロントガラスを見つめたまま、

「一度はあるでしょ、中学のとき。お兄ちゃんが一年生のときだったかな、確か?」

「バカ言ってんじゃねーよ、てめー」

 祐介は口をとがらせたが、香織は構わず言葉を続けて、

「知ってるよ、あたし。そのあとしばらく、うちに電話してくるときの高橋さんの態度、変だったもん。

 お兄ちゃんのほうも、変だったしさ」

「…………」

 祐介は前に視線を戻して黙り込む。図星を言い当てられたからだ。

 香織は祐介の顔を見た。潤んでいるのか、妙にキラキラした眼で、

「よく友達に戻れたね、お兄ちゃんたち」

「元から友達だっつーの、ただの」

 祐介は、にべもなく言った。だが、すぐに思い直して、

「……確かに、いっぺんだけ、ヤったけどさ」

 どうして妹とこんな会話をしなきゃならないのか、祐介は我ながら情けなかったけど、でも。

 それで香織の気が紛れるなら、付き合ってやるのも仕方がないと思った。

「やっぱりね」

 香織は、くすくす笑う。

「お兄ちゃんの前の彼女、夏美さん? あの人がお兄ちゃんに一番ぴったりだと思ってたけど、でも違ったね」

「まあ、別れちまったからな」

「そういうことじゃなくて……本当にぴったりなのは、高橋さんだったと思う」

「…………」

 答えないでいる祐介に、香織は微笑み、

「どうして、本気で付き合わなかったの、高橋さんと?」

「……あいつが、それっきりヤらせてくれなかったから」

 仏頂面で、祐介は言った。

「最初は自分から誘ってきたのに、次に俺が誘ったら、断りやがんの。俺、そんとき結構、自信なくしたぜ。

 あいつとヤったのが初めてだったから、俺がヘタクソすぎて二度目は断られたのかとか思って」

「その前に、お兄ちゃん、高橋さんに『好き』とか『愛してる』とか言ったりした?」

「あん?」

「言ってないでしょ、だからだよ。エッチだけの関係には、なりたくなかったんだよ」

「だけど、あいつから誘ってきたのも、いきなり『エッチしよう』だぜ?」

「それが高橋さんなりの告白だったんじゃない? 自分からは恥ずかしくて『好き』って言えなかったんだよ」

「そんな、ややこしー」

「でも、きっとそうだよ。好きじゃなくてもエッチはできるけど、好きじゃない同級生とはエッチしないよ。

 だって、お金もらえるわけじゃないし、その……エッチ自体、ヘタクソでしょ、中学生の男の子なんて。

 だから、ただエッチしたいだけなら誘ってないよ、お兄ちゃんを」

「おまえに恋愛のアドバイスされるハメになるとは思わなかったよ」

 憮然としながら祐介は、香織の顔を見て、

「そう言うおまえは、どうな……」

「え……?」

「……いや、何でもない」

 気まずく口をつぐむ。香織のエッチの相手の誰かが、彼女に「最悪の病気」を伝染(うつ)したのだ。

 だが、香織のほうから、口に出した。

「矢島さん」

「え?」

「初めてのエッチの相手。あたしに病気、伝染したのも」

 ――キキキキキーーーッ!

 祐介は思わず急ブレーキを踏んだ。

「きゃあっ!?」

 香織は前につんのめり、シートベルトで座席に引き戻された。

「ちょっ、あぶないって、お兄ちゃんっ!!」

 抗議する香織に構わず、祐介は声を荒らげた。

「矢島って、おまえ……!?」

「お兄ちゃんの友達だよ。前にお兄ちゃんが家に連れて来たとき、メルアド交換して」

 祐介はハンドルにもたれて顔を伏せた。怒りのもって行き場がなかった。

「あのヤロ、くそっ、なんだって……!」

「あたしが悪いんだよ。ほかに何人も付き合ってる子がいるの、知ってたのに」

 こともなげに香織は言う。

 確かに、ただ処女を奪われただけなら、「あたしがバカでした」で終わる話だろう。

 だが、その結果、香織は人生が破滅するような病気に感染させられたのだ。

 祐介は、香織を睨みつけ、

「おまえ、いったい、なんのつもりで……」

「外国でヤバイ病気が流行ってて、そのうち日本でも広がるとかニュースで言ってたのは知ってたけど。

 だけど、まさか自分がと思ってさ。それより、彼のことが好きだった。……好きだと、思い込もうとした」

「……それで済む話じゃねーだろ……」

 祐介は頭を抱える。

(こいつ、芋虫になるショックで、頭イカレたのか……?)

 あまりに淡々とした香織の態度に、そう思わざるを得ない。

 香織は、祐介に微笑みかけた。

「でも違うの。あたしが本当に好きだったのは、お兄ちゃん。矢島さんは、その代用品」

「おまえ……」

 祐介は香織の顔を見る。怒っていいのか、嘆くべきか。

「おまえ、気が高ぶって、おかしくなってるだろ?」

「ううん、違う。この気持ちは、ずっと前からだもん。ただそれを口にできなかっただけで」

「で、いま告白か? ……いい加減にしろっ!!」

 祐介は、妹を怒鳴りつけた。

「おまえ、いまどんな状況か、わかってるのか? おまえの身体が、芋虫みたいになっちまうんだぞ!」

「わかってるよ、そんなこと!」

 香織も叫ぶ。

「だから、あたし、いま普通の精神状態じゃないよ! 普通じゃないから、普通じゃないこと言ってんの!

 だって言えないもん、自分のアニキが好きだなんて! そのアニキに、面と向かって!

 ずっと隠してた、誰にも言えないで! だからいま言うの! 普通じゃない、いまだから言えるの!」

「…………」

 祐介は、じっと香織を見詰める。

 香織は眼に涙をためて……それでも微笑んで、言った。

「愛してるの、お兄ちゃんのこと。矢島さんなんかじゃなくて、お兄ちゃんとエッチしたかった……」

「…………」

「でも、無理だよね。お兄ちゃんにとってみれば、あたしはただの妹だし……それに。

 あたし、もうすぐ芋虫のバケモノになっちゃうんだから……」

「……くそっ」

 祐介は前に向き直り、アクセルを踏み込んだ。車は急発進した。

 香織は口をつぐんだ。祐介も何も言わない。

 黙り込んだ二人を乗せて、車は走り続け――

 やがて、都県境の川を見下ろす築堤の上で停まった。

 祐介は、エンジンを切った。

「……はあっ」

 ため息をつく。

 香織は、何も言わない。

 まっすぐ前を見たまま、祐介は言った。

「……中学のとき、高橋から聞いた話でさ。元ネタはネットらしいから、あいつにしては信憑性は怪しいけど。

 ある家族が旅行中に、船だか飛行機だかが遭難して、年頃の兄と妹だけ無人島に漂着したんだって。

 で、二人で助け合って生きてたんだけど、ようやく二年後に救助が来てさ。

 そのとき妹は一歳の赤ん坊を抱えて、もう一人の子供がおなかの中にいたんだって」

「…………」

 黙ったままの香織に、祐介は言葉を続けて、

「その話で、高橋と議論になってさ。自分が無人島に漂着したら、同じことをするかどうかって。

 高橋のところは、弟がいるだろ? でも、高橋は絶対、弟とはヤらないって、キショク悪いって言ってさ。

 そりゃそうかもしれないけど。あいつの弟、オヤジの跡継いでヤクザ決定みたいな、海坊主みたいな顔だろ?

 もっともオヤジさんはカタギにしたいらしいけど」

「……お兄ちゃんは?」

 香織が口を開く。祐介は、ふっと表情を和らげ、

「俺は、迷わずヤるって言った。二年もヤらずに我慢できねーって。そしたら、高橋が……」

「うん……?」

「『香織ちゃんの処女をキズつけるのは仕方ないけど、心をキズつけるのは絶対やめな』ってさ。

 『無理やり襲ったりしなければ、そのうち香織ちゃんのほうからヤらせてくれるから』とか言って」

「何それ、勝手に決めつけて……」

 香織は、くすくす笑い出す。祐介も笑って、

「俺もそう思ったよ。だって、香織はエッチなんかしなくても生きていけると思ってたから。

 だいたい、いまみたいな下ネタの会話だって、受け付けてくれてるのが奇跡みてーに思えるよ」

「そうだよね、自分でも不思議。お兄ちゃんとこんな話をしてるなんて」

 香織は祐介に微笑みかけた。

「でも……やっぱりあたしは、エッチしなくても、生きていけるよ。たとえ、ここが無人島でも。

 だって、芋虫になるあたしは、エッチする資格ないもん。エッチしなくても、お兄ちゃんと二人なら……」

「それじゃ俺が困る。ていうか、無人島だったらそんなの気にする必要ないじゃん、他人に伝染す心配ないし」

「あたしは人間じゃない、バケモノみたい身体になるんだよ? それでもエッチしたいと思う?」

「ネットで見たけど、外国には、芋虫になった女房や彼女とヤりまくってる男もいるらしいじゃん。

 だから芋虫になっても、身体の機能としては充分、エッチできるってことだろ?」

「いつかは救助が来て、無人島から出られるかも知れないのに。そのとき後悔しても手遅れだよ?」

「後悔しないくらい、惚れさせてみろよ」

「え?」

「あ、いや」

 祐介は赤くなって、視線をさまよわせ、

「悪い。自分でも言ってて恥ずかしかった」

「……お兄ちゃん」

「あん?」

 振り向く祐介に、香織は微笑んだまま、

「そう言ってくれて、香織は嬉しい。でも、ここは無人島じゃないし、お兄ちゃんは逃げようと思えば、

 いまならまだ逃げ出せるんだよ?」

「香織……」

「うん?」

「好きだ。愛してる」

 祐介の言葉に、香織は眼を見開いた。

 祐介は、じっと香織を見つめ、

「高橋に、そう言わなかったのは、俺にとってあいつはそういう相手じゃないからで。

 もちろん、いまでも友達として付き合ってくれてるあいつには、一生モノの借りができたと思ってるけど。

 いまは中学のときほどガキじゃねーし、だから、自分の気持ちをはっきり言える。香織、おまえを愛してる」

「……お兄ちゃん……」

 香織の眼から、涙がこぼれた。

「そう言ってくれるのが、芋虫になるあたしに同情したからだとしても、あたしは、素直に嬉しいよ。

 だって、あたし、家を出るのにお兄ちゃんを道連れにした悪いオンナだもん。

 お兄ちゃんを独占できるなら、それでいい」

「俺も、無人島に行ったら妹でもヤりたい悪いオトコだし。だけど、絶対、浮気だけはしないと約束する」

「当然だよ。こんな病気、他人に伝染したら犯罪者だよ」

 くすくす笑う香織に、祐介はシートベルトを外し、身を乗り出して顔を近づける。

「香織……」

「お兄ちゃん……。あたしも、愛してる……」

 微笑みながら眼を閉じた香織に、祐介は、唇を重ねた。

 兄妹として十六年間を過ごして来た二人が、初めて一線を越えた瞬間だった――

 

 

 祐介は、父親へ宛てて手紙を書き送った。

『父さんへ。

 香織と一緒に家を出ます。心配をかけることになって、ごめんなさい。

 香織はニュルンベルク病になりました。僕が何度か家に連れて来た矢島から伝染されたそうです。

 だから責任は僕にもあります。

 香織は母さんに病気を知られたくないと言いますが、何も知らせないわけにいかないので手紙を書きました。

 申し訳ありませんが、母さんには父さんから伝えてください。

 香織は僕が守ります。香織もそうして欲しいと言ってくれています。

 心配しないでとは言えませんが、僕を信じてください。――祐介』

 

 

 そして、二人で暮らし始めて半年後――

 祐介はラーメンのスープを飲み干して、座卓にドンブリ――ならぬ、鍋を置いた。

 膝の上の香織が、眼を丸くして、

「スープ、全部飲んじゃったの? 身体に悪そう……」

「仕方ねーだろ。九時からまたバイトだし、ちょっとでも腹ふくらませとかねーと」

「あんまり無理しないでね。アニキに寝込まれても、あたし看病できないんだから」

「そんときは、この無駄にいっぱいあるオッパイを、氷嚢(ひょうのう)代わりに俺のオデコに載せてくれ」

 言うなり祐介は、香織の一番上の乳房をわしづかみにした。

「ひゃあっ!? ちょっ、ちょっとアニキ……」

 香織は身をよじって抗うが、祐介は両手で後ろから香織の乳房を弄ぶ。

「メシの間、ずっと我慢してたんだ。さあ、ヤらせろ」

 香織の胴体に複数ある乳房は、一番上の一対が、人間の身体だったときからのものである。

 だが、その下に並ぶ幾対もの乳房も、形といい手触りといい、元からの乳房と遜色なかった。

 身体中の乳房をもみくちゃに弄ばれても、手足のない香織は身をよじるばかりで抗うすべがない。

「あっ、やっ、やあっ、そんな、乱暴、だめっ……」

 ――いや、一つだけ抵抗の方法はあった。

 香織の乳房が、祐介の手が触れていないものも含め、ぷるぷるぷる……と、意思を持ったように蠢きだした。

 芋虫のような胴体に「腹脚」のように並ぶ乳房は、実際、脚としての機能を持つのであった。

 祐介の手をはねのけるように、乳房はぷるぷると蠢いたが、

「暴れるなって、バカ香織」

 ぎゅっと両腕で身体を抱きしめられてしまえば、結局、香織は逃げられなかった。

「やだ、もうっ、アニキのバカッ!」

 わめく香織の顔を、後ろから覗き込み、

「香織……」

「何よ?」

「まだ堅いだろ?」

「……うん。ずっと当たってる、あたしのお尻に」

 香織は頬を赤らめる。意地悪をされて抵抗している間も、「それ」の存在は意識していたのだ。

「だけど、『ヤらせろ』って言い方ないでしょ、身も蓋もない」

「エッチさせろ」

「一緒だってば」

「犯すぞ」

「だから……」

「もういーや、メンドくせー」

 祐介は、香織の唇を唇でふさいだ。お互い、余計なことを言うから喧嘩になるのだ。

「んっ……」

 香織は抗わず、眼を閉じる。

 妹の唇の間に、兄は舌をこじ入れた。前歯をなぞり、舌先に触れ、舌同士を絡め合う。

 唇を離す。唾液が糸を引いた。

 香織は祐介を見つめて、

「……お兄ちゃん」

「ん?」

「もっと、香織に優しくしてよ……。あたし、お兄ちゃんがいなくちゃ生きていけないんだよ……」

「なら人のこと、バカバカ言うな」

「それは……だって、つい甘えちゃうんだよ、お兄ちゃんに」

「俺も、つい苛めたくなるんだよ、おまえを見てると」

「バカ……」

 香織がとがらせた唇を、祐介はもう一度、唇でふさいだ。

 それから、香織の背中を支えながらゆっくりと、その身体を床に仰向けに寝かせる。

 眼を潤ませた、とびきりの愛らしい顔と。

 形のいい乳房が――しかし異様に何対も並ぶ、手足のない芋虫のような胴体と。

 ぬらぬらと早くも蜜液をあふれさせている、淫らで妖しい薔薇のような女性器と。

 香織の全てを祐介は眺めて。

 彼女の傍らに膝をつき、その身体にのしかかるように、口と手で乳房を責め始めた。

 れろれろと舌で乳首を舐め上げ、こりこりと別の乳首を左右の手で弄ぶ。

「はんっ……、くふっ……、あふぅ……」

 きゅっと眼をつむり、陶然と香織は声を上げる。

 祐介が責めるべき乳房は――香織が責められるべき乳房は、何対もあった。

 軽く歯を立て、ちゅっと唇で吸い、舌でなぞって、祐介は一つずつ次々と、ねぶり上げる。

「……んくっ、おにい、ちゃん……はあっ……」

 高まる快感をこらえきれず、香織は身をよじる。

 胴体の一番下の乳房まで吸うと、淫らな蜜壷は、すぐ眼の前だった。

 つるりとした剥き卵のような陰阜と、ぷっくら肉厚の大陰唇と、薄い花弁のような小陰唇。

 莢に包まれた、文字通り豆のような陰核。赤く丸い口を開けた膣口は、とろとろと蜜をあふれさせている。

 芋虫への変化に伴うものか、強烈に甘い匂いを放つようになったその部分は、熟れきった果実を思わせた。

 愛らしい顔をした少女の肉体に、これほどまで淫靡な器官が備わっているとは。

 ぱっくりと自然に広がったその部分全体に、祐介は、れろりと舌を這わせた。

「はあうっ……!」

 香織は、びくんと身体を仰け反らせる。

 それから祐介は、香織の女性器のパーツ一つ一つを、指と舌で丹念に愛撫した。陰阜と、陰唇と、陰核と。

「はあんっ……んあっ……くうっ……いや、あ……とけ、ちゃうよ……」

 芋虫と化した身体をわななかせる香織に、祐介は、もう一度キスをする。

 舌と舌を絡め合う。その間、指は香織の秘部を弄び続ける。

「……お兄ちゃん……」

 香織は眼を開け、とろんとした瞳を祐介に向けた。

「お兄ちゃんにも、してあげる。口と、オッパイで……」

「ああ」

 祐介はうなずいて立ち上がり、パーカーとジーンズと下着と、身に着けていたものを全て脱いだ。

 ついでに邪魔な座卓も部屋の隅に押しやり、床に腰を下ろして、両脚を前に投げ出す。

 色は白いが、引き締まった身体だ。端正な顔立ちと相まって、香織にとって理想的な男性像である。

 香織は、ごろりと床の上を転がって、うつ伏せになり、兄の股間に屹立したモノに顔を近づけた。

 すらりと天を差したそれは、抜き身の刀のような凛々しさだ。

 恥ずかしくて口には出せないけど、(お兄ちゃん、オチンチンまで格好いい……)と、香織は思っている。

「んしょ……」

 口が届かなかったので、もぞりと香織は床の上を這い進んだ。

 そして、大きく開けた口に、兄であり恋人である男のモノを、くわえ込む。

「んっ、んっ、んっ……」

 胴体を反らして頭を上下させ、口全体で肉棒をしごき上げた。

 祐介は手を伸ばし、香織の髪を、手で梳くように撫でてやる。

「……ぷあっ」

 香織は口から祐介のペニスを放した。自身のよだれに濡れ光ったそれに、眼を細め、

「んっしょ……」

 床の上をさらに這い進んで、祐介の下腹部にのしかかる体勢になる。

 そして、胴体に何対もある乳房で、ペニスを挟み込み――

「んんっ……!」

 祐介は、思わず眼をつむって声を上げた。

 幾対もの乳房が、もぞもぞと不規則に蠢き回り、ペニスをしごき始めたのだ。

 芋虫に変貌した女体ならではの責めである。

 しかし、快感を味わっているのは香織も同様だ。人間の身体のとき以上に、乳房の感度が増しているのだ。

 頬を高潮させ、眼に涙さえ浮かべ、香織は、祐介に微笑みかける。

「……感じちゃってる、お兄ちゃん? あたしも、感じてるよ……」

 蠢く乳房に責め立てられて、

「……か、香織……」

 祐介は息を荒くして、妹の髪を、くしゃくしゃと撫でる。香織は慈母のような笑みを浮かべ、

「オッパイでイっちゃう? イってもいいよ、お兄ちゃん……」

「いや、待て……」

 祐介に身体を押しやられ、香織は、仰向けに床に転がされた。

「きゃっ……」

「ちゃんと、中で出させろよ」

 と、祐介がその上にのしかかり、香織が何か言う前に、キスで口をふさいでしまう。

 うっとりと眼を閉じた香織の、胴体に並ぶ乳房の下――女性器を、片手で探り当て。

 祐介はそこに、自身のペニスを導いた。

 しどけなく口を開けているそこに、ペニスを突き立てる。その先端が、膣口に当たった。

 両手で香織の身体を抱え、窮屈な膣口を押し広げるように、ぐっと腰を突き上げる。

「ああっ……あっ、あっ……おにい、ちゃん……」

 熱く火照ったその部分に、めりめりと祐介のペニスが呑み込まれた。

 そして、兄は腰を動かし始める。

「……いっぱい注いで、お兄ちゃんの……」

 妹は潤んだ眼で兄を見上げ、微笑む。

 香織の身体は《ニュルンベルク病》が発症したあとも、月経が周期的に訪れていた。

 つまり、医学的な常識で考えれば、芋虫になった身体でも生殖能力は失っていないということだ。

 この恐るべき病気は、何故か妊娠中の女性だけは感染しない。

 ならば、感染者である香織が妊娠した場合には、何が起きるのか?

「もしかすると、人間の身体に戻れるかもしれないね」

 香織はそう言って、祐介に、セックスのときは中で射精するよう頼んでいた。

 可能性としては、限りなく低いけど。もしかすると、芋虫の子供が生まれるだけかも知れないけど。

 外国でも感染者の女性が妊娠した事例は、まだないらしい。

 だったら、自分たちが第一例目のカップルになってやろうと、香織は思っている。

「んっ……、あっ……、んく……、ああっ……」

 祐介のリズミカルな腰の動きに合わせ、海の波に洗われるように、快感が香織の全身を覆う。

 身体の中が、最愛の兄のモノで満たされている。心の中も満たされている。

「んっ、はっ、くっ、んっ……」

 祐介の荒い息遣いが、耳に心地よい。頬にかかる吐息も心地よい。

「香織……」

 再び唇を吸われた。舌を絡め合った。快感は高まり続ける。

「あっ、あっ、おにい、ちゃん、あっ、かおり、あっ、いっ、いっちゃ、あっ……!」

「んくっ、くっ、んっ、香織……!」

 祐介が腰の動きを限界まで早め、そして。

 二人、同時に、果てた――

 

 

 汗のにじんだ身体で、祐介と香織は二人並んで床に横たわり、天井を見上げていた。

 祐介が伸ばした片腕を、香織は枕代わりにしている。

「アニキ……」

 香織が口を開き、祐介は答えた。

「あん?」

「……お兄ちゃん」

「だから、何だよ?」

 祐介は妹の顔を見た。香織も兄の顔を見て、微笑み、

「あたし、いつからアニキって呼ぶようになったんだろ」

「俺が中古で買った自転車に、おまえが、もっとマシなの買えとか文句つけて喧嘩になって、それからだろ」

「そうだっけ?」

「ああ」

 祐介はうなずき、天井に視線を戻す。香織は、その兄の横顔を見つめたまま、

「……祐介」

「あ?」

 祐介はもう一度、香織を見る。香織は悪戯っぽく笑って、

「今度から、祐介って呼ぶね。そのほうが、もっと恋人っぽいし」

「じゃあ、バカアニキ呼ばわりも、もうナシだな」

「それはないよ、バカ祐介」

「はあっ?」

「語呂がいいもん、バカ祐介、バカ祐介」

「うるせー、バカバカ言うな、バカ香織」

「やっぱりやめた。アニキでいいや」

「どっちなんだよ?」

「エッチの間だけ、お兄ちゃんって呼ぶことにする」

「それじゃ、いまと一緒じゃねーか」

「お兄ちゃん」

「あん?」

「もういっぺん、エッチしよ?」

 にっこり微笑む香織の顔を、祐介はあきれたように見て。

 やれやれと苦笑すると、体を起こして香織に顔を近づけ、その唇に、唇を重ねた――

 

《終わり》


足跡帖へ感想を書き記すまたはダメ出しする

 

戦略的後退

無条件降伏