中枢装置《奈緒》 ――"NAO" the Core-Unit――


 

 ――ギチギチ……、ギチギチギチ……

 

 耳障りな音を立て、鉛色の巨体が蠢く。

 ごつごつした外骨格に覆われた、いくつもの体節に分かれた胴体と脚。

 節足動物さながらの姿。

 だが、体長およそ五十メートル、背中の高さ約十メートルという大きさが、「それ」が地球上の生物とは異質な存在であることを示している。

 お台場付近に着水し、品川埠頭に上陸した「それ」は、自分と比べても巨大な高層ビルは避けながら、埠頭の倉庫群、水上警察の庁舎、東海道貨物線の高架や下水道局のポンプ棟を次々と倒壊させたのち、国鉄の電車区を横切り、いまは第一京浜道路の高輪付近を北上している。

 乗り捨てられた車を、「それ」は容赦なく踏み潰す。歩道橋は、正面から押し倒す。

 ぺしゃんこになった車から路面に漏れ溢れたガソリンが、千切れた電線から散った火花で燃え上がるが、巨躯の怪物は動じる様子もない。

 黙々と、進み続ける。

 お台場に着水したのが早朝だったのが幸いした。

 すでに港区一帯で民間人の避難は完了しており、地上には人の姿も、走る車もない。

 上空には自衛隊のヘリが舞う。

 戦闘機も旋回している。

 だが、彼らが「それ」に手出しをすることはない。

 東京を火の海にする覚悟がない限り――

 生半可な攻撃では効果がないことは、アメリカ軍や中国軍が実証済みだ。

 

 

《インセクター》と、「それ」は呼ばれていた。

 日本語にすれば「昆虫人」である。

 彼らは成層圏外に飛来する《母船》から、《繭》に包まれて射出される。

《繭》は名前の通り、カイコ蛾の繭に似た形状の、しかし巨大な白銀色の物体で、ゆるやかに地上に降下する。

 そして地上に達すると《繭》は割れ、中から《インセクター》が現れるのだ。

 果たして、《インセクター》が《母船》の乗員そのものであるのか。

 それとも、単に「兵器」として扱われる存在で、《母船》には別種の異星人が搭乗しているのか、定かではない。

 音声や電波、光信号など、《インセクター》と意思を疎通するための、あらゆる試みも成功していない。

 そもそも知性があるのかさえわからない。

《母船》自体、どこからか飛来した宇宙船であろうとは推測されているが、本当のところは何一つわかっていない。

 事実としては、《インセクター》は二年前に初めてシベリアに現れて以来、アメリカ、ドイツ、フランス、インド、中国など世界各国に数ヶ月おきに出現している。

 そして、きょう、日本にも現れたというわけだ。

《響(ひびき)》にとって――そして《CUX−001》にとって、それは初めての実戦であった。

 

 

 灰色の街並みを背にした、赤鉛筆の先っぽみたいな建築物。

 近づくにつれて、はっきりとした輪郭を帯びてくる。

 ――東京タワー。

「そろそろね。いつも通りいきましょ、みんな」

 C−309《ジャイアント・トータス》の操縦室(コックピット)。

 中島冴子(さえこ)一等空尉は、搭乗員(クルー)に呼びかけた。

「奈緒(なお)ちゃんも、いいかしら?」

『――YES』

 無線機の向こうで若い女の、どこか金属じみた響きのある声が答える。

 C−309は米軍から供与を受けて、航空自衛隊が運用する輸送機である。入間基地所属の第二輸送航空隊に、予備機を含めて二機配備されている。

 機長をつとめる冴子は三十二歳。ベリーショートの髪に、少年のような凛々しい顔立ち。だが、声はやさしく女性的である。

 彼女の愛機《ジャイアント・トータス》は、全長五十五メートル。

 名前の通りカメに似た、ずんぐりむっくりの胴体。

 それにも増して、この機が特徴的なのは、四基の大きな回転翼を、水平飛行時は前方に、離着陸時は上方に向けることで垂直離着陸を可能とした「ティルトローター機」であることだ。

 いま、その機体の下には、身長三十メートルの巨大ロボットが、うつ伏せに吊り下げられていた。

 人型汎用機械《HUMX−1》、通称《響》。

 細身の胴体と四肢を持った、純白の機体。

 戦闘機に似た、研ぎ澄まされた印象のフォルム。

《インセクター》の襲来に備えて開発された、日本の切り札――

 C−309の使命は、《響》を《インセクター》の間近まで運ぶことだ。

 

 

 この二週間、冴子たちC−309の搭乗員は、富士演習場で《響》との合同訓練を繰り返してきた。

《響》は自衛隊の所属ではない。独立行政法人「国立生体工学研究所」によって開発され、運用されている。

 その「パイロット」もまた、自衛官ではなく研究所の職員の身分であった。

 水無月奈緒、名前以外のプロフィールは非公開。

 いや、最初は名前すら明かされず、《CUX−001》というコードネームのみ伝えられていた。

 しかも、「人間」ではなく試作品の電子頭脳という説明で――

 

 

 事実、無線を通して聞く《CUX−001》の応答は、『YES』と『NO』だけのまるで機械的なものだった。

 それ以外の返答を要する質問には、答えない。

 冴子たちは、不満だった。

《響》の搬送は危険を伴う任務である。

 空中で《響》を切り離すと、C−309の機体は途端に軽くなる。

 ペイロードぎりぎりの荷重から一気に解放されるので、機のバランスをとるのが難しい。

 まして「実戦」となれば、C−309は《インセクター》に間近まで迫ることになる。

 万が一、切り離しに失敗して不時着することになれば、そこは《インセクター》の足元だ。

 だから、自分たちの都合で考えれば、適当に離れた場所で《響》を切り離し、さっさと戦闘区域から離脱したい。

 しかし、それは戦術輸送のプロフェッショナルとしての、冴子たちのプライドが許さない。

 できるだけ《インセクター》に接近し、《響》が戦いやすいタイミングで切り離してやりたいのである。

 では、《響》の側は、どうなのか?

 身長三十メートルのロボットが、人間そのままに自在に動く様子は、毎日の訓練で見せつけられている。

 そこに組み込まれた電子頭脳――「生体工学研究所」側は《コアユニット》と呼ぶ《CUX−001》は、よほど高性能なのだろう。

 だが、そうだとしても。

「YES」と「NO」しか答えない融通の利かない電子頭脳が、《インセクター》を前にした「実戦」で、訓練同様に戦えるのか?

 冴子たちは命を賭して任務に当たる。

「頭の堅い」電子頭脳に操られるだけの《響》が、それに応えられるのか――?

 合同訓練が始まって十日目。

 訓練終了後、富士学校内で行なわれたブリーフィングで、冴子は自分たちの疑問を研究所側にぶつけた。

 その場には輸送航空隊の上官たちも同席していたが、冴子の発言を止める者はいなかった。

 自衛隊側の誰もが同じことを思っていたからだ。

 研究所側の名目上の代表は山根という初老の技官だが、彼が実務にタッチしていないのは周知のことだった。

「……あー、水無月クン、どうかな?」

 山根は部下の水無月真理という女性科学者の意見を求めた。

 彼女が実質的な責任者だった。医学博士の肩書きを持つといい、いつも白衣姿だった。

 年齢は二十代後半。肩の辺りで切り揃えた髪、眼鏡の奥の怜悧な眼差し。

 あまりに整った、冷たい印象の美貌。

 真理は、まっすぐ射抜くように冴子を見つめて、言った。

「結局……何を求めていらっしゃるのですか? 《コアユニット》にウィットに富んだ会話の機能を追加しろとおっしゃるんですか?」

「誰も、そんなことは言ってないわ」

 冴子は怒りのあまり机に拳を振り下ろすところだった。だが、軍用機の機長としての経験が、挑発に乗っては負けだと彼女自身に呼びかけた。

 冴子は腕組みをして倣岸と胸をそらし、冷笑まで浮かべて相手を挑発し返した。

「ただ、《コアユニット》にどこまでのことができるか教えてほしいだけ。最初から、いきなり身長三十メートルの《響》に組み込んだのではなく、最初は等身大の――つまり、人間サイズのロボットでテストしたのではないの? その実験機があるなら見せてほしいし、できることなら、私たち――人間と、柔道でもレスリングでもいいわ、格闘技対決で実力を示してほしい」

「そんなお遊びには、応じられません」

 真理は言った。だが、彼女は視線をそらしていた。

 冴子は悪戯が成功した少年のように得意げな笑みで、

「どうして? 自信がないから?」

「《コアユニット》は最初から、《響》やその後に建造される《人型汎用機械》に組み込むために開発しました。人間サイズでテストなんてしていない。そもそも、そんな必要ないのよ」

「テストが必要ない? よほど性能に自信がおありだったんですね」

「そうじゃないわ。ここから先は機密事項よ。防衛省と統合幕僚監部の一握りのトップしか知らないような」

 真理の言葉に、冴子は表情をこわばらせた。

 輸送航空隊の幹部たちも同様だ。

 実戦部隊に籍を置く彼らにとって、統幕監部のトップしか知らない機密など、触れてはならない禁忌だ。

 だが、真理は冴子に視線を戻して言った。

「でも『私の権限』で、中島一尉と《ジャイアント・トータス》の搭乗員の皆さんにはお教えするわ。《コアユニット》――《CUX−001》は、本当は電子頭脳なんかじゃないの。『彼女』に会えば、納得するでしょう?」

 もはや自分が実際上の責任者であることを隠す気もない口ぶりだった。

 冴子は怪訝に眉をしかめて、

「彼女って……」

「《響》の『パイロット』よ。あなた方にも受け入れやすい言い方をすれば」

 輸送航空隊の幹部たちが、驚きの声を上げた。

「人間が操っているのか、あの三十メートルの巨体を?」

「いったいどうやって、あんなに滑らかに?」

「だから機密事項なんです」

 真理は答えて言った。

「『パイロット』は機体の調整のため、まだ《響》に搭乗中ですので、通信モニターを介しての面会になります。それと『彼女』への精神的負担を考慮して、面会は《トータス》の搭乗員五名に限らせて頂きたいのですが、よろしいですか?」

 輸送航空隊の幹部たちが、冴子の顔を見た。

 彼らも当然、「パイロット」の正体は気になるところだった。

 だが、機密事項と釘を刺されている以上、自分たちも面会に参加したいとは言い出せない。

 唯一の期待は、最初に研究所側に喧嘩を売った冴子が、自衛隊側を全員同席させろと要求することだが――

 冴子は、そこまで愚かではなかった。

 C−309の乗員五名に面会を許したのは、真理の最大限の譲歩であり、彼女なりに《CUX−001》の「戦友」となる冴子たちへ敬意を払ったものだと理解して、その条件を了承した。

 

 

 真理は冴子たちC−309の搭乗員五人を「指揮管制車」に案内した。

「指揮管制車」はテレビ局の中継車のような車両だった。

 訓練の間、真理たち研究所のスタッフは、そこから《響》の行動を監視しているという。

 車内には、いくつものモニターが並んでいた。

 演習場内のどこかだろう、雑木林が映っているものが数台。

 何かの計測値らしい、グラフや数字を映すもの数台。映像が消えているもの数台。

 輸送用トレーラーに横たわる《響》を映したものも一台あるが、その胸部、おそらくコックピットがあるはずの部分は白いシートで囲われ、中の様子はうかがえない。

 パイロットの姿は、別のモニターに映っていた。

 ゴーグル型のヘッドマウントディスプレイを着け、顔は半分隠れているが、若い女性であるらしい。

 髪を後ろに撫でつけた頭は、白いクッション状のものにすっぽり収まっている。

 周りを見回すこともできないだろうが、視界はゴーグルで確保しているのか。

 画面では裸の肩までが見えていた。

《響》のパイロット服はチューブトップのようなデザインだろうか。かなり薄着に作られているようだ。

「向こうには、こちらの姿は見えていませんが、声は聞こえています」

 真理は冴子たちに説明してから、モニターの画面に向かって呼びかける。

「詩織、ゴーグルを外してあげて」

『――はい』

 と、パイロットとは別の声が答え、白衣を着た女性の後ろ姿がパイロットに覆いかぶさるように画面に現れた。

 声からして若いが、研究所のスタッフなら二十歳前ということはない筈で、その割に子供じみたツーテールの髪型だ。

 そのスタッフが画面の外に消えると、ゴーグルを外されて素顔になったパイロットが姿を見せた。

 まだ十六、七としか見えない少女だった。

 整った目鼻立ちに、あどけなさを残している。

「子供じゃないか……」

 搭乗員の一人、川西一等空曹が声を上げた。

 彼は三十九歳で、三人の娘の父親だった。長女は中学三年生というから《響》のパイロットと、さほど年も違わない。

 十六、七の少女を「子供」と呼ぶのも無理はない。

 冴子も驚いていた。

 こんなに若い娘が、どうしてパイロットをしているのか?

 何か特別な資質があるのか?

 十六、七の少女を《インセクター》と戦わせるのでは、本当は「人間」が《響》を操っている事実を公表できないのも、当然というべきか……?

 しかし、驚いているのは、川西の声を聞いた少女の側も同じだった。

 恐る恐るといった様子で、口を開く――訓練中に聞くのとは違った、澄んだ声で、

『あの……叔母様、そちらに誰かいるんですか?』

「ええ。C−309の乗員の皆さんに、奈緒を紹介しようと思って」

 真理は微笑みながら答える。

『えっ……?』

 奈緒と呼ばれた少女は、眼を丸くした。あわてたように早口に、

『そんな、叔母様、それって、だって……』

「大丈夫よ。こちらからは、あなたの『顔』しか見えていないから」

 真理は笑って言った。

「顔以外」を見られて困る事情が少女にはあるのかと、冴子は訝しむ。

 まさか、パイロット服が薄着なのではなく、裸で《響》に乗ってるとか?

 それに――「おば様」というのは、この少女が真理の親類ということ?

 真理が冴子たちに告げた。

「紹介します。彼女が《響》のパイロット、《CUX−001》こと、水無月奈緒。この名前をお教えしたら、次に出る質問が予想できますので先にお答えしておきますが、彼女は私の姪です」

「姪って……?」

 きき返す冴子から視線をそらすように、真理は画面に視線を戻す。

「彼女の父親が、私の兄。それ以上は説明できません、プライベートのことは」

 さっきは機密で、今度はプライベートね。

 冴子は喉まで出かかった皮肉を、胸の内にしまい込む。

『あの……初めまして、こんな場所からすみません。本当は、ちゃんとお会いして、ご挨拶するべきなのでしょうけど……』

 奈緒という少女が、頬を赤らめて言った。

「いいのよ。あたしが無理を言って、あなたに会いたいと頼んだのだから」

 冴子は微笑む。

 真面目で素直そうな性格が、少女の言葉遣いから感じられる。

 だが――本当に彼女が、あの機械じみた声で「YES」と「NO」しか答えないパイロットなのか?

 その疑問に答えるように、真理が言った。

「《響》のパイロットは、作戦行動中は呼吸用のチューブを着けているため言葉を話せません。無線に応答しているのは人工発声装置です。といっても、《響》に搭載してあるのは、『YES』と『NO』しか喋れない、ごく単機能のものですが」

「どうして、そんな? 彼女自身は普通に喋れるのに」

 あきれた口ぶりになる冴子に、真理は表情を変えず、

「おっしゃりたいことはわかります。医療用の分野では、もっと自然に近い会話ができる高性能な装置もあります。ですが、《響》に搭載するには耐久性の面で問題があるのです。身長三十メートルの《響》が普通に歩行するだけで、機内の装置類には震度五か六の地震並みの振動が与えられているのですから」

「ははあ……」

 言われてみれば、その通りかもしれない。

 モニター画面の奈緒が、申し訳なさそうに、

『すみません。いままで、いろいろ話しかけて頂いても、イエスかノーで答えられないことは無視するかたちになってしまって……』

「気にしないで。こちらこそ、いつも無駄口ばかりでごめんなさいね」

 冴子は苦笑いする。

 パイロットの正体への疑問が、これで氷解した……わけではない。

 十六、七の少女が《響》の操縦を任されている理由が、まだわからない。

 しかし、いまは「戦友」となる彼女への挨拶が先だろう。

「自己紹介が遅れたわね。あたしは中島冴子、C−309の機長をしています。空自で最年少で女性機長になったのが自慢といえば自慢だけど、そう言い続けてもう五年になるわ」

「ちなみに機長になったのが二十七で、それ足す五年が、いまの年齢ですね」

 三等空尉の階級章をつけた若い搭乗員が、笑って言った。

 冴子は同僚の肩に手を置いて、モニター画面の中の奈緒に紹介する。

「彼は副操縦士の、名古屋稜三(りょうぞう)三等空尉。万年恋人募集中の二十五歳よ」

「万年って……ひどいっすよ、機長殿!」

 名古屋はふくれ面をした。

 奈緒は、くすくす笑っている。

 冴子たちの姿は、奈緒には見えていないというが、楽しげな様子は声だけで伝わっているのだろう。

『初めまして、名古屋さん。よろしくお願いします』

「あ、初めまして……。君にお姉さんがいたら、紹介してください」

「そういうことばかり言ってるから、モテないのよ」

 名古屋のいつもの冗談に、冴子は笑い、続いてほかの搭乗員を紹介した。

 機上整備員、川西一等空曹、三十九歳、三人の娘のパパ。

 同じく、立川三等空曹、二十八歳、お坊さんの資格をもつ変わり種。

 輸送員、川崎三等空曹、三十三歳、ただいま新婚二ヶ月目――

 奈緒は一人一人に笑顔で挨拶した。

 その様子を見ても、奈緒という少女は、やはり素直なのだろうと冴子は思う。

 だが、話が盛り上がりかけたところで、真理が告げた。

「――中島一尉、まだ機体の調整がありますので、そろそろよろしいですか? 奈緒も、いいわね?」

『あ……はい』

 奈緒は頷き、次の言葉は冴子たちに向けて、

『申し訳ありません、もっとお話しさせて頂きたいのですけど……』

「こちらこそ、邪魔して悪かったわ」

 冴子は微笑み、

「今度また、ゆっくり話をしましょうね」

『はい』

 と、奈緒も笑顔でうなずく。

 

 

 冴子たちは奈緒と別れの挨拶を交わし、真理とともに「指揮管制車」を出た。

 すぐに真理が、足を止めて言う。

「これで、ご納得頂けましたか?」

「ええ。素直そうな、いい子ですね」

 冴子は、真理の顔を見る。

「でも彼女、幾つなんですか? あんなに若い子が、どうして《響》のパイロットをしてるんですか? 彼女を《コアユニット》と呼んで『人間』であることを隠してたのは、若い子にパイロットをさせることが問題だからですか?」

「…………」

 真理は口を開きかけ、ためらい……それから、ため息をついて、言った。

「あの子の父親……私の兄は、一年半前に亡くなりました。アメリカの、ベセスダという街で」

「ベセスダ?」

「そこで何が起きたかは、ご存知でしょう?」

「ええ……」

 冴子はうなずく。

 米国、メリーランド州ベセスダ。

 シベリアに続いて、二体目の《インセクター》が出現した街――

 真理は白衣のポケットに手を入れて、眼を伏せ、

「市民の大半は避難した。奈緒もその一人だった。でも、兄は逃げなかった。兄は政府機関の職員で、逃げ出せる立場じゃなかったから」

「……NIH(エヌ・アイ・エイチ)?」

 たずねる冴子に、真理は「ええ」と頷く。

 NIH――米国国立衛生研究所。

 日本からも多くの研究員や留学生を受け入れている、その研究機関には、シベリアの《インセクター》の体組織の一部――《シベリア・サンプル》と呼ばれる――が、分析のため持ち込まれていた。

 一体目の《インセクター》は、シベリアの凍てつくタイガ林をおよそ百キロにわたり横断したのち、ロシア軍が攻撃開始に踏み切る前に「活動」を停止した。

 地球に飛来した《母船》から《繭》が射出され、ゆるやかに地上に降下する様子は、世界各国の軍用あるいは民間用レーダーが捉えており、ロシア政府は《インセクター》の分析研究を独占するわけにいかなかった。

 あるいは、彼らだけでは持て余し気味だったというのが正直なところかもしれないが――

「兄がいたNIHの研究施設は《インセクター》に破壊され、生死も確認されないまま軍の総攻撃が始まった。避難した市民の見ている前で、街に何十発ものミサイルが撃ち込まれた。そして《インセクター》と道連れに、ベセスダは壊滅した。死体が見つかっただけ兄は幸運だったわ。千人近い人たちが、骨さえ残さず行方知れずになった」

「…………」

 冴子は、黙って真理を見つめる。真理は言葉を続けた。

「奈緒は二歳のときに母親を亡くしているの。生まれてくる筈だった、弟と一緒に。だから父親も死んで、奈緒は一人ぼっちになった。《響》に乗ったのは奈緒自身の意思よ。私にも、奈緒に素質があることさえわかれば、ためらう理由はなかったけど」

 真理は眼を伏せたまま、苦い笑みを浮かべ、

「でも、私が考えたのは、兄の仇を討つことだけ。自分が開発した《響》で、《インセクター》を倒したいと思った。奈緒の思いは違う。あの子は、ベセスダで自分が味わった悲しい思いを、ほかの誰にもさせたくないと願ってる。だから《響》に乗った。最小限の犠牲で《インセクター》を倒せる方法が、《響》による格闘戦だから」

 真理は、冴子たちに向き直る。

 そして深く、頭を下げた。

「お願い。あの子に……奈緒に、力を貸してあげて」

 冴子たちは言葉もなく、真理を見つめた――

 

 

《インセクター》を視界にとらえた。

 港区三田三丁目、「札の辻」交差点付近。

 第一京浜は、そこから北東に折れているが、《インセクター》は左手、北へ進もうとしている。

 すぐ先で、その道は国道一号線に合流し、霞ヶ関まで続いている。

 C−309は北西から《インセクター》に接近していた。

 その角度から見ると、巨躯の怪物の後方で、品川駅周辺の破壊された建物群が黒煙を上げている様子が、ありありとわかる。

 C−309は飛行速度を落とした。

 ローターの角度を変えることで、この機は低速で前進したり、空中静止(ホバリング)が行なえる。

 C−309の接近に、《インセクター》は気づいているのかいないのか。

 何対もの節足を蠢かせ、構わず進み続けている。

 C−309は《インセクター》を右手に見ながら、いったん東海道線を飛び越えて芝浦方面へ抜けた。

 そして右旋回し、《インセクター》の背後へ回り込む。

「いつも通りやるわよ」

 冴子が再び、皆に呼びかけた。搭乗員たちと、奈緒に。

 フライトエンジニア席の川西が『切り離し装置』のレバーに手をかける。

《響》の切り離し操作は、彼の仕事だ。

 C−309は高度を下げながら、《インセクター》に接近した。

 五百……、四百……、三百……

《インセクター》の動きに変化はない。

 よほどの鈍感なのか。人間のやることなど無視しているのか。

 敵の直上で、速度を同調させる。時速にして四十キロ、自動車並みだ。

 高度をさらに下げ、百メートル。

 ビル群の屋上、すれすれの高さ。

「《001》、READY?」

 冴子の呼びかけに、奈緒が答える。

『――YES』

「GO!」

 冴子の号令とともに、《響》が切り離された。

 仰向けの姿勢から、くるりと背を丸めて前方に一回転し、足から《インセクター》の背に、着地する。

 

 ――ズゥゴォォォォォッッッッッ!

 

 地響きとともに、《インセクター》の巨体が、一メートルばかり地面に沈んだ。

 周囲のビルが震え、窓ガラスが砕け散る。

 アスファルトの路面が裂け、地下の水道管が破裂して水が噴き出す。

《響》はバランスをとるように、敵の背の上で片膝をついた。

 いっぽうC−309は、《響》の重量から解放された刹那に急上昇し、しかし冴子の巧みな操縦で、すぐに機体のバランスを取り戻す。

 任務終了。このまま、C−309は離脱してよい。

《響》の回収は、研究所のトレーラーがやってくれる。

 だが、冴子たちは、戦闘が終わるまでこの場を去るつもりはなかった。

 上空に留まり、《響》の――奈緒の戦いぶりを、見届けるつもりだ。

 

 ――ギチギチ、ギチギチギチ……

 

《インセクター》は、もがくように節足を蠢かせる。

 はまり込んだ穴から、「それ」は這い出そうとしている。

《響》は《インセクター》の背にまたがり、体節の隙間に指をねじ込んだ。

 火器攻撃を跳ね返す、強固な鎧。板すだれのように重なり合った構造の外骨格が、外からの攻撃を受けつけないのだ。

 だが、それさえ引き剥がせば――

 

 ――ベキッ、ベキベキッ……!

 

《響》が《インセクター》の殻を剥ぎ取った。

 どくどくと脈打つ赤い体組織が、露わになった。

《インセクター》の「心臓」は、第五体節の下――これまでの出現例から、それは明らかになっている。

《響》は剥ぎ取った殻を投げ捨てると、

 

 ――ブシュッッッッッ!

 

《インセクター》の体組織に、腕を突き入れた。

 赤い体液が滲み出す。

 外骨格と比べて、あまりに脆弱な体組織に、《響》の金属の腕が、めり込んでいく。

 

 ――ギチギチ……ギチギチギチ……

 

《インセクター》は、もがき続ける。

《響》の指先が、弾力のある器官に触れた。

 これが、《インセクター》の、「心臓」――!

《響》は指を広げ、その器官を鷲掴みにする。

 そして容赦なく、握り潰した。

 

 ――ギチギチッ……ギッ……!

 

《インセクター》の動きが、止まった。

 節足が力を失い、持ち上がりつつあった巨体が、再び地面に沈む。

 

 ――ズゥゥーーーンンッッ!

 

 土煙が上がり――

 それきり、怪物は動かない。

「終わった……ん、ですか……?」

 C−309の機上で、副操縦士の名古屋がつぶやく。

 操縦室から地上の様子を眺めやすいように、C−309は機体を傾けて旋回飛行している。

「終わった……はずよ、これで」

 冴子は答え、奈緒に向かって呼びかけた。

「ご苦労様、奈緒ちゃん」

『――YES』

 無線を通して、奈緒が答える。

 呆気ないほどの勝利。

 だが、《響》にとって。

 そして《CUX−001》の名を与えられた、奈緒にとって。

 これが、最初の勝利だった。

 

 

 その、一ヶ月前――

 奈緒は、《手術台》の前に立っていた。

「……いいわね、奈緒?」

 青緑色の手術着とマスクを着けた真理が、たずねる。

「はい……叔母様」

 奈緒は、こくりとうなずく。

 色白のきめ細やかな肌。背にかかる長い黒髪。すらりと伸びた腕と脚。

 小ぶりだが形のいい乳房。その頂に添えられた桜色の蕾。

 そして、あらかじめ除毛措置を施された下腹部のなだらかな丘と、両脚の間にわずかに覗くクレヴァス――

 奈緒は、その瑞々しい肢体を露わにしている。

 この《手術室》にいるのは、奈緒のほかに、執刀医である真理と、六人の助手たち――いずれも女性だった。

 だが、これから奈緒に施される《手術》の模様は、室内に複数用意されたカメラによって映像に記録され、医学関係者、科学者、国内外の政府高官や軍高官そのほかの人びとが、将来にわたり閲覧するはずであった。

 そのことは、あらかじめ奈緒にも知らされている。

 しかし彼女の決意は揺らがなかった。

 奈緒は、自らの希望でこの《手術》に臨むのだ。

《手術台》に上がる前から撮影が始められているのは、そのことを証明するためである。

「では、《手術台》に上がって」

「はい……」

 真理の言葉に、奈緒はうなずき、《手術台》に横座りした。

 それから、ゆっくりと体を横たえ、両足も《手術台》に載せる。

 膝を揃えて、脚を伸ばすと、完全な仰向けの姿勢になった。

 頭上の手術灯に取り付けられたカメラが、いやでも目につく。

 閉じ合わせた両脚に、思わず力が入る――それで恥ずかしい部分を隠せるわけではないけど。

 十七歳になる奈緒の体は、女性的な成熟を迎えつつあった。

 陰阜はこんもりふくらみを帯び、子供の頃には正面から見えていたクレヴァスは、わずかを残して両脚の間に隠されている。除毛措置を施されていなければ、そのわずかな部分も隠されていたはずだ。

 引き締まった足首とふくらはぎ。なめらかな太もも。

 繊細な手指。しなやかに伸びる腕。

 弾力に溢れる乳房は、仰向けになってもその形を保っている。

 その体に、奈緒は、メスを入れられる。

 そして「人間」ではないモノに、造り替えられる――

「――二〇一五年八月十五日、《コアユニット化手術》」

 手術着の襟元につけたピンマイクに向かい、真理は語り始めた。

「被験者第一号、水無月奈緒。執刀医、医学博士、水無月真理」

 奈緒は《手術台》の傍らに立つ真理に視線を向けた。

 真理の目が、手術用ゴーグルの奥で笑みのかたちを見せる。

 奈緒も微笑みを返した。

 気持ちはすでに固まっている。

 私は、叔母様の手で《コアユニット》に生まれ変わるんだ――

 真理は言葉を続けた。

「補足、執刀医は被験者の叔母であり、現在は被験者の保護者である。被験者は自らの意思で、自らの肉体を《コアユニット》とすることを希望し、執刀医も保護者として承諾を与えた。――間違いないわね、奈緒?」

 真理の問いかけに、《手術台》上の奈緒はうなずく。

「はい……間違いありません」

「では、手術を開始します。麻酔の用意」

 真理が助手たちに指示を出す。

 奈緒は目を閉じて、静かに待った。

《手術》が終わるとき、奈緒は、もう「人間」ではない。

 人型汎用機械《響》に組み込まれる《中枢装置=コアユニット》のプロトタイプ、《CUX−001》であった。

 

 

 動きを止めた《インセクター》の体を、防護服姿の科学者たちが調べている。

 漏水はおさまったが、辺りは水びたしのままだ。その水たまりから試験管にサンプルを採取している者もいる。

 上空では自衛隊のヘリが数機、哨戒を続けている。

 民間人への避難命令は解除されていない。

《インセクター》による生物学的、あるいは化学的汚染の事例は、これまで報告されたことはない。

 だが、「それ」に関する全てが解明されたわけではないのだ。

《インセクター》の死骸が撤去され、一切の汚染がないことが確認されるまで、付近一帯の立入禁止措置が解除されることはないだろう。

 その場所から、二百メートルばかり北。

 国道一号線、慶鷹大学東門付近の路上。

「指揮管制車」と並んで停められた輸送用トレーラーに、《響》は横たわっている。

 胸部は白いシートで囲われている。そのシートには屋根もつけられ、外部の視線を完全に遮っている。

 そして、シートの内側では「生体工学研究所」のスタッフが、任務を終えた《CUX−001》を回収しようとしていた。

 真理が手にするトランシーバーから、指揮管制車からの報告が聞こえている。

『――シンクロナス・レベル、0・02、0・01……解放』

『《CUX−001》、イジェクト可能です』

「イジェクト、実行せよ」

 真理がトランシーバーに向かい、指示を出す。

『了解。《CUX−001》、イジェクト信号を送ります』

 

 ――ぷしゅぅぅぅ……

 

 ガスの抜ける音がして、《響》の胸部ハッチが持ち上がった。

 ハッチの前にいた研究所スタッフ――香村詩織が、把手に手をかける。

 髪をツーテールにした、二十歳そこそこの娘である。

 笑窪が愛らしい彼女が、《CUX−001》のメンテナンス責任者を任されている。

「開けますね、奈緒さん」

 詩織は機内に声をかけ、ハッチを開けた。

 コックピットと呼ぶには、異様に狭い空間。ゲル状物質を充填した緩衝材(クッション)の間に、《CUX−001》となった奈緒が収まっていた。

 後ろに撫でつけた髪、ゴーグル型ヘッドマウントディスプレイを装着した姿は、冴子たちC−309の搭乗員が通信モニターで見たときと変わらない。

 だが、口には呼吸用のチューブを差し込まれ、それは革のような素材の黒いバンドで顔に固定されている。

 見た目には猿轡をされたような姿だ。

 そして、モニター画面には映っていなかった部分――彼女の体は。

 両腕と両脚を、失っていた。

 奈緒は、頭と胴体だけの姿だった。

 腕と脚があるべき場所には、ケーブルが「生えて」いる。いや、正確に言えば、そのケーブルは《響》の機内から伸びて、腕と脚のつけ根であった場所を覆う金属製のキャップに穿たれたコネクタに差し込まれている。

 裸の胴体は、形のいい乳房も、その頂の蕾も、縦長の小さな臍さえ、見た目には「人間」の頃のまま。

 しかし、無毛の陰阜に黒々と施された刻印が、いまの奈緒が「何モノ」であるかを物語る。

 バーコードとともに記された刻印は、いまの彼女に与えられた名前、

《CUX−001》――

 もはや、奈緒は「人間」ではない。

 腕と脚は失われ、元のままに見える胴体も、皮膚は樹脂注入による強化加工を施され、臓器や骨格の大部分は人工物に置き換えられている。

 そのような身体に造り替えられたこと自体、「人間」ではなくなった証しだろう。

 もちろん、それは奈緒自身も同意してのことだ。

 同じ刻印は、彼女の局所――膣から五センチばかり外に突き出した、銀色の円筒形の器具にも記されていた。

 桃色の肉襞を押し広げて突き入れられた、直径四センチほどのそれは《生体モニター》と呼ばれ、奈緒の身体の状態を逐一、「指揮管制車」に報せている。

 奈緒の体が、ぴくんっ、と震えた。

「ん、んっ……」

 低く呻いた声は、言葉にならない。人工発声装置は切られている。

 もどかしげに奈緒は、首を動かす――何を訴えたいのだろうか。

「チューブを外してあげて」

 真理の指示を受け、詩織は奈緒の頭の後ろに手を差し入れて、チューブを固定する革バンドを外した。

「――ぷはっ!」

 チューブを吐き出し、奈緒は二、三度、口をパクパクさせて、荒く息をつく。

 詩織が奈緒のゴーグルも外してやった。

 奈緒は潤んだ瞳を、真理に向ける。

「……お、叔母様……」

「ご苦労様、奈緒。よく頑張ったわ」

 真理は微笑む。

「《モニター》も外しますね」

 詩織が奈緒の局所から突き出した器具に手をかけた。

「ん……っ」

 奈緒は眼をつむる。

 詩織は《生体モニター》を一度、ぐっと奈緒の身体に押し込み、それから、ほんの僅かに引き出す。

 その動きを、何度か繰り返した。

「乾いちゃってますから……こすれると痛いから、少しなじませますね」

 微笑みながら言う詩織に、奈緒は眼をつむったまま、頬を紅潮させ、

「あっ……、あぁっ……やぁっ……」

「すぐ済みますから……ほら」

 詩織は《生体モニター》を、ゆっくりと引き抜いた。

 それから、奈緒に覆いかぶさるようにして、その身体に繋がれたケーブルを、一本ずつ外していく。

 奈緒は眼を閉じたまま、全ての作業が済むのを待った。

 おかしな気分だった。

 奈緒は身長三十メートルの巨大な《響》を、自分の「手足」のように操ることができる。

 それなのに、自分ひとりでは《響》の機体から離れることもできない。

 見られて恥ずかしい姿を、隠すことさえできない。

 自分はもう「人間」ではないのだと、奈緒はあらためて思った。

 自分は《コアユニット》――《響》に組み込まれるための《装置》なのだ。

 奈緒自身が、そうなることを望んだのだ。

 

 

 夕刻――

 新宿区戸山ヶ原、衛生省戸山庁舎。

 そこには、国立生体工学研究所、国立優生学研究所、そして国立防疫研究所という、衛生省傘下の三つの研究機関が置かれていた。

 その地下百メートル、防疫研究所大深度地下研究施設。

 通称《ABYSS(アビス)》――

 真理は、白衣姿の男と並んで廊下を歩いていた。

 日に焼けた顔、茶色い髪、がっしりした体躯。

 医学者らしからぬその男の名は、遠野士郎といった。

 年は三十五。だが、並んで歩けば真理と同世代としか見えない。

「――おめでとうと、言うべきなのかな」

 口の端を笑みのかたちに歪めて、遠野は言った。

「《コアユニット》の能力は証明された。これで世界中の国々で、国家プロジェクトとしての『人体改造』が行なわれるようになるだろう」

「皮肉はやめて」

 真理は表情を変えずに言う。

「あたしが好きこのんで、自分の姪を《コアユニット》にしたのだと思う?」

「姪じゃなければ、よかったのか? あの若い助手の子、ウサギみたいな髪型の彼女なら?」

「そうよ。最初は彼女を《手術》するつもりだった。彼女も同意してくれたわ。でも、年齢的に不適格だとわかったのよ。奈緒だってギリギリだった」

「若ければ若いほどいいのか」

「子供はダメよ。情緒的な安定を欠いてるから」

「そんな条件まであるのか。候補者選びが難しいな」

 天井も壁も真っ白な、長い廊下を真理と遠野は歩いていく。

 左右には銀色の扉がいくつも並んでいる。

 その向こうでは、遺伝子やウイルスに関する高度な研究が行なわれている筈だ。

 真理が言った。

「あたしは皮肉を聞きに来たわけじゃないの。届けさせた《インセクター》のサンプルから、何かわかったの?」

「ああ。これまでの推論を裏づけるような結果がな」

 一つの扉の前で、遠野は足を止める。

 ポケットから出したカードを、扉の横のリーダーにかざすと、

 

 ――ぷしゅっ。

 

 と、音を立てて、扉が横開きに開いた。

 扉の内側には、もう一枚の扉がある。

 遠野と真理は、その扉も抜けて、室内に入った。

 数台のコンピュータと、そのほかの測定装置が並ぶ。

 奥に大きなガラス窓があり、その向こうでは防護服姿の人間が、顕微鏡を覗いたり、試験管を振ったり、こちらに背を向けて何かの研究を進めている。

 遠野は、真理を一台のコンピュータの前に案内した。

 ディスプレイに指を触れると、省電力モードが解除され、そこに遺伝子らしい、らせん構造を図式化した画像が二枚、表示される。

「左がおなじみ《シベリア・サンプル》、右が今回、東京に現れて、君の姪っ子が倒した《インセクター》だ」

 遠野が左右の画像を、それぞれタッチすると、画像は二枚ともアルファベットの文字列を表したものになった。

 A、T、G、C――DNAの塩基配列を示したものと思われた。

「《インセクター》は、地球上の生物とそっくりなDNA構造を持っている。つまり分子生物学的には、地球上の既知の生物の常識が、奴らにも適用可能な筈だ。だが、その前提で考えると、我々地球人類にとっては好ましからぬ推論が導き出される」

「知ってるわよ、何度も聞かされた話だもの。『奴らは、常に進化している』」

「その通りだ」

 遠野は、肩をすくめた。

「外見的には、これまで出現した《インセクター》は、いずれも巨大ダンゴ虫のような大差のない姿かたちをしていた。だが、人間の眼にはそう見えるというだけで、遺伝子レベルでは各個体には、猿人と原人とネアンデルタール人くらいの相違がある」

「ホモ・サピエンスではなく?」

「進化が行き詰っているような我々と同列に語っていいかは、わからないな。奴らの進化が行きつく先は、まだ見えないから。いや――遺伝子的な相違を『進化』と呼んでいるのは、実はオレを含めた一部の研究者だけでね。世界中の大部分の学者は、それを『個体差』としか考えてない」

「進化と呼べるほど《インセクター》の脅威そのものが大きくなっているわけじゃないから」

「その通り」

 遠野は両手を上げてみせた。

 伸びをしたつもりか、「降参」のポーズか。

「最初の《インセクター》は、吹雪のシベリアで勝手に活動停止した。アメリカに現れた二体目は、街ひとつを犠牲にしたが、爆弾の大量投下で仕留めることができた。ドイツ、フランス、ブラジルも同様。インドと中国では被害が大きくなったが、これは避難勧告の遅れや軍の作戦の失敗のせいで、使用した爆弾の総量は他国の例と違いはないとされている」

「そして、日本では《響》が《インセクター》を倒した」

「そう、最も鮮やかな勝ち方だ。だが、それがオレには不安でな。《インセクター》自体はもちろん、それを地球に送りつけてくる《母船》の正体も不明なままだ。仮に、《母船》を操る存在に知性と科学力があるなら、今度こそ本当に『進化』と呼べるような、《響》でも簡単には仕留められない《インセクター》を送り込んで来るんじゃないかと思うんだ」

「それを杞憂と呼べるほど、私たちは《インセクター》について知ってるわけじゃないのよね」

「そういうことだ」

「どちらにしろ、言えるのは。奈緒は恐らく、これからも戦い続けなければならない。地球に《インセクター》が現れる限り」

「あるいは、ここに《シベリア・サンプル》がある限り、だ。この推論は『進化』説よりも多くの学者が支持するところだがね。最初の《インセクター》は、ただの『漂着者』に過ぎず、バラバラにされたその『亡き骸』の回収のために、二体目以降の《インセクター》は現れているのだと。ベセスダ、ミュンヘン、パリ――《シベリア・サンプル》を保有する研究施設のあった都市ばかり襲撃を受けた理由はそれだと」

「それでも、どの国も《シベリア・サンプル》を手放そうとしない」

「ああ。結局、《インセクター》とは意思の疎通ができないからな。本当にそれが目的なのか、わからない。ならば、《シベリア・サンプル》を手元に置いて、奴らの弱点が見つからないか研究を続けるほうが得策だと、どこの国の政府も考えてる」

「あなたはどうなの?」

「オレか? そうだな……」

 遠野は、口元に皮肉めかした笑みを浮かべ、

「《シベリア・サンプル》を手放せば《インセクター》の襲来を避けられるという説は、奴らの出現パターンから言われているだけで、科学的根拠はない。《シベリア・サンプル》が仲間を呼び寄せるための電波みたいなものが発見されたわけでもないし。ならば、オレは自分の研究を続けるだけだ」

「あなたらしいわね」

「そっちはどうだ? 姪っ子は成功事例になったわけだが、二体目、三体目の《コアユニット》の《改造》も自分で手がけるのか?」

「それが、私の仕事だから。自ら『プロトタイプ』になってくれた奈緒に対する責任もある。あの子ひとりで世界中に現れる全ての《インセクター》と戦えるわけじゃないもの」

「だから、彼女に『仲間』を作ってやるわけか」

「皮肉はよして。あなたは《コアユニット》のプロジェクトに反対なの?」

「知ってるだろ。オレの娘は、生まれつき運動機能に障害がある。脳の問題だから、義体でどうこうできるものじゃない。頭に補助電脳を組み込んで、ようやく人並みに歩けるようになったが、駆けっこは無理だ。だから健康な人間の手足を切り落とすってことが、オレには心情的に受け入れがたい。《響》に『パイロット』として乗せるのはいいが、《響》を降りたときは、まともな日常生活を送らせてやれる手立てはなかったのか?」

「奈緒は『プロトタイプ』よ」

 真理は、その単語を繰り返した。

「いつ日本にも《インセクター》が現れるかわからない状態では、どうしても《コアユニット》としての機能を優先するしかなかった」

「なら、もう一つ訊かせてくれ」

「何かしら?」

「《コアユニット》になった姪っ子は、君から見て、まだ『人間』なのか?」

「《コアユニット》は《コアユニット》よ」

 真理は答えて言った。

「人間をあのような状態に造り変えなければ《響》に乗せられないことは、国家レベルの機密事項。だから、便宜上『パイロット』と呼ぶことがあっても、《響》を操るのは、あくまで《コアユニット》。人間ではないの。……でもね」

 眉をしかめた遠野が何か言う前に、真理は言い添えた。

「奈緒は奈緒よ、私にとって。たとえ『人間』ではなく《コアユニット》であるとしてもね」

「…………」

 遠野は、しばらく真理の顔を見つめ、それから彼女の腕を軽く叩いた。

「……なら『人間』ってことだろう、君にとっては」

 

《終わり》


ついでに表サイトのエヴァンゲリヲンSSを覗いてみる(改造ネタはないけどな)

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戦略的後退

無条件降伏