三分の一の選択


 

「――でも、もう一人の子にも訊いてみないと……、いまちょっと、いないですけど……」

「もう一人って、君たち三人で来てんの? ちょうどいいじゃん、俺らも三人だし」

「みんなで遊べば、ぜってー楽しいって」

「やろうぜビーチバレー、せっかくコート借りたけど、野郎ばっかじゃ盛り上がらねーからさ」

「うーん、どうするぅ?」

「えっ? いや……」

 夏休みの海水浴場では珍しくない光景。

 ナンパ、であった。声をかけたのは二十歳前後の三人組の男たち。

 いずれもよく日に焼けて、髪は茶髪か金髪で、いかにも遊び慣れて見える。

 声をかけられたのは十六、七歳の二人の少女だった。

 パラソルの下で休んでいたところに男たちが近づいて来たのである。

 少女の一人はウェーブのかかった栗色の髪をカチューシャでまとめ、大人びた顔立ちで一見、お嬢様風。

 だが、凹凸に富んだ身体に赤いビキニを纏い、自分の魅力をよく理解しているようである。

 男たちの誘いに乗り気で、仲間の同意を得るために「どうする?」と訊いているのが彼女であった。

 名前を智花(ちか)という。

 もう一人は身長一五〇センチと小柄ながら、手足がすらりと長く均整のとれた身体つき。

 髪はポニーテールで、紺色のスポーティーなワンピース水着に身を包んでいる。

 学校では剣道部に所属。果敢な攻撃が信条だが、いまはナンパ男を前にすっかり気後れしている。

 チャラチャラした男など相手にする気はないけど、どうやって誘いを断ればいいのかが、わからないのだ。

 異性に対して奥手な彼女の名前は、理恵(りえ)といった。

 少女たちのうち一人は乗り気だと理解した三人組は、ここは押しの一手とばかりにまくしたてた。

「ウマいヘタは気にしなくていいよ、どうせお遊びだし、俺らもそんな慣れてるわけじゃないし」

「そうそ、砂の上で足とられっからさ、体育でバレーが得意とかでも関係なくなるし」

「いっそ俺ら男だけ罰ゲームありでもいいぜ、負けたチームの男は他のみんなに、かき氷か何か奢んの」

「女の子は負けても奢ってもらえるってこと? ねえ、面白そうだよ!」

 智花までが男たちに同調して、困った理恵は考え込むふりをしながら辺りを見回した。

「……でも、私たちだけで勝手には……。……あ、真琴(まこと)が戻って来た!」

 理恵には救いの神が現れたように思えた。

 こちらへ近づいて来るのは身長一七五センチ前後、短く切った髪に日焼けした顔の人物だ。

 ロングTシャツの裾からは、艶やかな褐色の引き締まった脚が伸びている。

 三人組は初め、相手が男か女かわからずに身構えた。野郎のコブ付きだとすると面倒である。

 こちらは三人だし喧嘩になっても負ける気はしないが、騒ぎになってナンパを続けられなくなるのは困る。

 しかしよく見れば、相手の凛々しく整った面立ちは女性的な線の細さを備えていた。

 それに何より水気を吸ったTシャツは、下に着ている水着に貼りついて胸の膨らみを示している。

 男たちは薄笑いで眼を見交わした。

 ちょっと遊ぶだけだし、よく見りゃ美人だし、悪かねーよな?

 この状況から早く逃げ出したい理恵が、声を上ずらせて三人目の少女――真琴に呼びかけた。

「ねえっ、真琴! 脚どうだったっ?」

「クラゲの仕業だってさ。でも手当てとか言って監視所のオヤジ、アンモニア塗ってオシマイ。すげえ手抜き」

 真琴はクラゲに刺された右の太ももを軽く叩いてみせてから、男たちに視線を向けて眉をしかめ、

「……えっと?」

「ああ、いま俺ら、一緒にビーチバレーやらないかって誘ってたとこ」

 男たちは真琴に愛想よく笑ってみせた。

「そうそ、お互い三人だし、二人ずつペア組んで対戦したらちょうどいいじゃんって」

「コートとボールも借りてあるからさ、みんなで遊べば、ぜってー楽しいから」

 赤ビキニの巨乳はすでにオチてるし、ポニーテールも押しの一手でオトせるだろう。

 このボーイッシュな娘は手強そうだが、しかし、こいつさえ上手く言いくるめれば……

「……ああ、ごめんなさい。あたしたち、もう帰るところだから」

 真琴はさっぱり謝っているようには聞こえない事務的な口調で言った。

 しかし断られるのは織り込み済で、男たちは愛想笑いを崩さない。

「ええっ、まだ一時ちょっと過ぎたばかりじゃん?」

「いったいどこから来てんの? 帰るにしても早すぎじゃね?」

「もうちょっと遊んでいこうよ、せっかく海に来たのにもったいないじゃん? みんなもそう思うよねえ?」

 男たちに話を振られ、智花と理恵は答えに詰まる。

「えーっとぉ……智花はいいと思うんだけどぉ、みんながどうかなぁ……」

「……私は、その……あんまり……」

「あたしたち、きのうから来て結構遊んだし、それに、もうじき親が迎えに来ますから」

 真琴がきっぱりと言って、男たちの愛想笑いは苦笑いに変わった。

「そっか、親と一緒か。じゃあまあ、しょうがねーな」

「俺ら地元だし、またこっちに来て会うことがあれば、遊ぼーぜ。親と一緒じゃないときに」

「じゃ、気をつけて帰れよな」

 三人組は去って行き、真琴は「……はあっ」と、ため息をついた。

 それから智花を、じろりと睨み、

「きのう智花が自分で言ったんじゃん、つまんない野郎にナンパされてもシカトしようねって?」

「でもぉ、きのう声かけてきた人たちより全然カッコよかったしぃ、ビーチバレー楽しそうだしぃ……」

 智花が口をとがらせて反論し、真琴は、やれやれと首を振る。

「あんなチャラ男相手にして、ビーチバレーごっこだけで済むわけないじゃん」

「そうかなぁ……向こうはオトナだしぃ、こっちが若いの見ればわかるしぃ、最初はメール交換くらいで……」

「そんなわけないでしょ、夏の海のナンパだよ?」

 男たちがいなくなって平静さを取り戻した理恵が、ぴしゃりと言った。

「メル友からとか面倒なことは抜きで、エッチしたいだけに決まってるでしょ!」

「そんな悪い人たちにも見えなかったけどなぁ、地元の人とか言ってたしぃ……」

 未練がましい智花に、真琴と理恵が口を揃えて、

「悪いヤツにしか見えねえよ!」「どう見てもヤリ逃げのチャラ男でしょ!」

「そうかなぁ、真琴たちがそう言うなら、そうなのかなぁ……」

 智花はそれでも夏の恋を諦めきれない様子だったが、真琴は放っておくことにして、

「あたし、もういっぺん泳いでくるから」

 と、Tシャツを脱いで水着姿になった。帰るとか親が迎えに来ると言ったのはナンパ男を追い払う方便だ。

 引き締まった体躯を包むのは鋭角なハイレッグの競泳用水着である。色は鮮やかなマリンブルー。

 彼女は水泳部員であり、水着とのコントラストが際立つ褐色の肌は普段の練習の賜物だった。

 一泊二日の海水浴で、いま以上に日焼けはしないと思うが、万が一のこともある。

 いつもと違う水着の跡が残るのは格好悪いので、部活の練習で使っている競泳用水着を持参したのだ。

 ハイレッグに周囲の(特に男の)視線が集中することは気にしていない。

 そんなことは大会で慣れているし、海に入ってしまえば身体は隠せる。

 ちなみに普段の練習と大会出場時とでは、ハイレッグとスパッツタイプで水着を使い分けている。

 タイムは新型のスパッツタイプのほうが縮まるが、価格が割高なため普段からは着られない。

 水泳部員にとって、シーズン中に毎日着用する水着は消耗品なのだ。

「あっ……私も行く」

 と、理恵が立ち上がって、智花が「えぇーっ」と渋い顔をした。

「智花ひとりにする気ぃ? だったらビーチバレー、智花だけでもオッケーすればよかったぁ」

「なによ、智花はもう泳がないつもりなの? せっかくサーフマットも借りたのに」

 理恵が呆れて言うと、智花は口をとがらせて、

「だってぇ、さっきも真琴と理恵だけどんどん遠くまで泳いでさぁ、サーフマットじゃついていけないのにぃ」

「あれは悪かったと思ってるよ。じゃあさ、今度は智花のそばでしか泳がないから」

 苦笑いして言う真琴を、智花は拗ねたように上目遣いで見て、

「今度は裏切らないでよねぇ。智花だけカナヅチだからって、もう仲間外れは嫌だからねぇ」

「わかったわかった」

 真琴と理恵は顔を見合わせ、やれやれと苦笑いした。

 

 

「――朝はホテルで着替えてきたけど、帰りをどうするか考えてなかったのは失敗か」

「無料の更衣室のシャワーは水だけだもんねぇ、きのうはホテルでシャンプーしたからよかったけどぉ……」

 日が傾いてきて、真琴たち三人は引き上げることにしたが、着替えの前のシャワーが問題だった。

 公営の無料更衣室にもシャワーはあるが、お湯が出ないので髪や身体を洗うにはつらい。

 かといって、軽く水で流しただけで帰るのは乙女心が許さない。

 シャンプーと石けんでしっかり洗わなければ、髪も身体も潮でベタベタになるのだ。

 貸しパラソルとサーフマットは返却したが、タオルと着替えを抱えて水着姿で立ち往生という状況。

 どこかでお湯のシャワーが借りられないか訊いてみるからと、理恵は海の家の一軒に入って行った。

 真琴と智花は、理恵が戻るのを待っているところだ。

「ホテルに戻ってシャワー貸してもらう? チェックアウト済だけど頼んだらダメかな?」

「貸してもらえるのかなぁ、あそこまでちょっぴり歩くしぃ……」

「借りられるかどうかもわかんないのに面倒か。なら、あきらめて水のシャワー使うしかないじゃん」

「えぇーっ、それもヤダぁ、冷たいからちゃんと洗えないもぉん……」

 そのとき海の家から理恵が出て来て、真琴と智花に呼びかけた。

「ねえ、ここでお湯のシャワー貸してくれるって! かき氷か何か注文すればシャワーは無料でいいってよ!」

「おっ、理恵ナイス! よくやった!」

 真琴が拍手すると、理恵は照れたように赤くなり、

「さっきは真琴に頼りきりだったから、男の人たちに声をかけられて……」

「あんなチャラ男どもは適当にあしらっとけばいいのよ、もう会うこともないだろうし」

 真琴は言って、海の家を見やり、

「それにしても、こんなプレハブみたいな海の家で温水のシャワーが出るんだね」

「海岸の上にある旅館からお湯を引いてるみたい、ここの人の話だと」

「なんでもいいよぉ、早くシャワー浴びようよぉ、もう髪が乾き始めてベトベトだよぉ……」

 智花が口をとがらせて言い、真琴と理恵は、やれやれと苦笑し合う。

 海の家に入って行くと、時間が遅いせいか店内にいる客は二組だけだった。

 かき氷を食べている子供連れの若夫婦と、ビールを飲んでいる中年男の四人組だ。

 五人ほどいる店員は揃いの紫色のTシャツとホットパンツ姿の若い女性たちである。

 空いているテーブルを拭いたり、座敷の席に掃除機をかけたりして、きびきびと働いている。

 店員の一人が理恵たちに気づいて、にこやかに声をかけてきた。

「あ、いらっしゃーい。シャワーはその奥だから、貴重品があれば先にロッカーに入れて鍵をかけてね」

「はいっ、ありがとうございます」「おじゃましまーす」「おじゃましまぁす……」

 店の奥にある女子ロッカー室は、少女たちの予想以上に綺麗だった。

「わあっ、結構キレイ! きっと改装したばかりかな、キレイなほうがお客さんも集まるし」

「でも海の家の外見からは想像つかなくて、客を集めるには意味なさそうじゃん」

「キレイな分には文句ないよぉ。あ、シャワーも全部個室だ、すごぉい!」

 六つあるシャワーは、それぞれ個室として仕切られていた。

 周りに泡が飛ぶ心配をする必要もなく、存分に髪や身体を洗えそうだ。

「アソコに入った砂を洗い流してる恥ずかしい姿も、他人に見られなくていいよね」

 にやりと笑って真琴が言うと、理恵はきょとんとして、

「えっ、砂なんて入る? その……アソコに?」

「入るじゃん。海で泳いだあとは、じょりじょりでしょ」

「私、海水浴は小さいとき以来だし、よく覚えてない……」

「中学のときは、このメンバーでよくプールに行ったけど、海は初めてだもんねぇ」

 智花が笑って言う。

 三人はそれぞれ荷物からシャンプーとボディソープを出して、ほかのものはロッカーに入れて鍵をかけた。

「じゃ、またあとで」「うぃーっす」「出たらかき氷、食べようねぇ」

 少女たちは一人ずつシャワーの個室に入り、ドアを閉めた――

 

 

 海の家の厨房には、客席から見えない位置にモニターが六台、設置されていた。

 各シャワー室の内部を隠しカメラで撮影した映像が流れているのだ。

 いま使用中のシャワーは三つで、真琴と理恵、智花が身体を洗っている様子がモニターに映っている。

 店員の女が二人、客の前では見せることのない冷たい表情で、そのモニターを注視していた。

「……性別、年齢、外見的要素、三名とも指定条件に適合」

「サンプルとして捕獲する。シャワー室A、B、Cにガスを注入せよ」

「ガス注入開始」

 女が手元にある操作盤のキーを叩いた。

 するとシャワーのお湯が止まり、モニターの中の少女たちは戸惑っている様子だ。

『……ねえ、お湯が止まったよ?』

『何これ、時間制限アリ?』

『えぇーっ、まだ泡あわだよぉ! ちょっとぉ、お湯出してよぉ!』

 だが、お湯の代わりにシャワーヘッドから噴き出したのは紫色のガスだった。

『えっ!? やだ、ガス漏れ!? 逃げなきゃっ!』

『ドアが開かない! 何よ、これっ!?』

『やだぁっ、開けてよぉっ! 誰かぁっ、助けてぇぇぇっ!!』

 少女たちは口と鼻を手で覆ったり、ドアを叩いたりしたが、すぐに力が抜けて床に倒れ込む。

 それを見届けたモニターの前の女が、再び操作盤のキーを叩いて、ガスの噴出は止まった。

「ガス停止。ただちにサンプルを回収せよ。対象以外の一般客に注意せよ……」

 

 

「……ううっ……」

 真琴は、ゆっくりと眼を開けた。

 夜更かしした翌日みたいに、ずきずきと頭が痛む。

 白い天井が見えた。蛍光灯の光が眩しい。

 見回すと、周りの壁も白い。広さは六畳ほどで、窓は見当たらない。金属製らしい銀色の扉だけが眼につく。

 自分は堅い床の上に横になっていた。

 身体を起こしてみると、理恵と智花もすぐそばで仰向けに寝かされている。

 二人とも病院の検査着のような薄紫色のケープを着せられていた。真琴自身も同じ格好だ。

 念のため自分のケープの下を探ってみると、裸だった。下着ナシ。ノーパンノーブラである。

「ここ、どこ……病院? でも、どうしてベッドがないのよ……」

 ここが病院であるとすれば、自分たちが床に寝かされていたのは変だ。患者に対する扱いではない。

 そもそもシャワー室で噴き出してきたガスは何なのか。

 あれを吸って意識を失った自分たちは、そのあと、どうなったのか……?

 立ち上がって扉に歩み寄り、ノブを回そうとするが、鍵がかかっているのか回らなかった。

 押しても引いても扉は開かない。

 ますますおかしい。どうして閉じ込められているのか。

「……ねえっ! 誰かいないの!?」

 ドンドンドンと強くドアを叩いて、真琴は叫んだ。

 その音で理恵と智花も眼を覚ましたようだ。

「うっ……、あたま痛っ……」

「あれぇ、真琴ぉ……? なに騒いでんのぉ、うるさいじゃんかぁ……」

「なに呑気なこと言ってんの。あたしたち、閉じ込められてるみたいよ」

「ええっ!?」「何それぇ、嘘でしょぉ!?」

 理恵と智花も扉に駆け寄り、ノブを試したり、激しく叩いたりしながら叫んだ。

「ねえっ! 開けてっ! 開けてくださいっ!」

「誰かぁっ! ちょっとやだぁっ、開けてよぉっ……!!」

「……くそ! 何なんだよ、ここは!?」

 真琴は扉から離れて舌打ちした。靴を履いていたら壁を蹴りつけてやりたいが、あいにくと裸足だ。

「いったい何があったの? 私たち、どうなっちゃったの……?」

 理恵が心細げに言うと、智花もいまにも泣きそうに、

「やだもぅ、海水浴に来ただけでしょぉ、それでシャワーを浴びてたら、なんでこんなことにぃ……?」

「わかんねえ。……くそっ!」

 真琴は扉の前に戻って、拳を叩きつけた。

 ――がんっ!

 鈍い音が響いたが、それで扉が開くわけでもない。

 痛い思いをしただけの真琴は、あきらめて扉から離れようとしたが……

「――オホホホホッ!」

 女の高笑いが扉の向こうから聞こえて、ぎょっとして真琴たちは振り向いた。

「……ねえっ!?」

 真琴が再び扉に駆け寄って、ドンドンドンと激しく叩いた。理恵と智花もそれに倣った。

「誰かいるのっ!? ここを開けてよっ!!」

「開けて下さいっ! どうして私たちを閉じ込めるんですかっ!?」

「ねぇってばぁっ! 開けてよぉっ! ここから出してぇっ!!」

「そこから出たいなら、アタクシと取り引きなさい」

 気どった口調で女の声が告げて、真琴は腹を立てて怒鳴り返した。

「ふざけないでっ! 取り引きって何よっ!?」

「そこには、いま三人の女の子がいるわね。どの子もアタクシ好みの可愛らしい子だけど」

「…………」

 真琴は呆れて、理恵の顔を見た。理恵も眉をひそめている。

 頭がどうかしているのだろう。ひとを閉じ込めておいて、好みのタイプだって?

 しかし相手は自分のペースで言葉を続けた。

「三人のうち、二人はそのまま帰らせてあげてもよくてよ。でも、一人は残って実験につき合ってもらうわ」

「じ……実験って!?」

 悲鳴のように智花が声を上げると、女の声は、ふふっと笑いを含み、

「ちょっとした人体実験よ。肉体的な苦痛はないから安心なさい。誰が残るかは、三人で話し合って決めてね」

「ふざけないで下さい! そんなの決められるわけないでしょう!」

 理恵が叫ぶと、女は再び「オホホホホ……!」と声を上げて笑いだした。

「なら、三人とも残るといいわ。でも、アタクシが必要なのは一人。あとの二人は処分することになるかしら」

「処分……?」

 真琴が訊き返し、ドアの向こうの女が答える。

「処分は処分よ。まあ、無事に帰れるとは期待しないほうがよくてよ。……オホホホホ!」

「ちょっと待って! 待ちなさいよっ! ねえっ!!」

「待って下さい! あなたは誰なんですか!? ここはどこですかっ!?」

「ここから出してぇっ! 帰らせてよぉっ、ねぇっ……!!」

 女の高笑いが遠ざかっていき、あとは真琴たちが何を叫ぼうとも返事がなかった。

「……あぁぁぁぁっ!!」

 智花が両手で顔を覆い、その場にしゃがんで泣き出した。

「どうしてよぉっ!? 智花たち海水浴に来ただけでしょぉっ!? なのに、どうしてこんなぁっ……!?」

「……話し合えって言われてもさ」

 理恵が、ひきつった笑顔を真琴に向けて、

「そんなの決められるわけないよ、ねえ……?」

「……くそっ!」

 真琴は舌打ちして、扉から遠い壁際へ歩いていき、壁にもたれて座り込んだ。

 それきり、うつむいたまま真琴が何も言わないのを見て、理恵は哀しげに首を振る。

 そして自分も別の壁際へ行き、膝を抱えて座った。

 智花は嗚咽を漏らしている。

 真琴は、ごつんと後頭部を壁に打ちつけて、天井を見上げた。蛍光灯の眩しさが忌々しかった。

 ……あたししか、ないじゃんか。

 智花か理恵のどちらかを犠牲にしたら、自分は助かっても残りの人生、後悔し続けることになる。

 高笑いして去った女の目的がそもそも定かではないが、きっとロクな実験ではないだろう。

 自分は無事では済まない筈だ。

 だが、智花か理恵を身捨てて生き延びるよりは、あるいは誰も助からないよりは、よほどいい。

 真琴は意を決して立ち上がると、扉に歩み寄って、力いっぱい叩いた。

「あたしが実験台になる! だから、あとの二人を解放して!」

「真琴……!?」「真琴ぉ、どうしてぇ……?」

 唖然としている理恵と智花を振り返り、真琴は笑ってみせる。

「誰も助からないより、いいでしょう? 二人でここから出られたら、すぐに助けを呼んで来て」

 かつかつとヒールの足音が近づき、がちゃりと鍵を回す音がして、扉が開いた。

「決まったのね。じゃあ、こちらへいらっしゃい」

 紫色の帽子とスーツを身に着けた女が、にんまりと微笑みながら言った。

 年は四十前後か。整った顔立ちではあるが、紫主体の濃いめのメークに髪まで紫に染めて、派手な印象だ。

 先ほどからの声の主が彼女であった。人体実験を口にするほどだから、まともな人間ではないのだろう。

 そしてスーツ姿の女の後ろには、薄紫色の手術着を纏った女が四人、並んでいた。

 マスクで口元を隠しているが、眼はいやらしく笑うように細めている。どうやら彼らも普通ではない。

「本当にいいのぉ、ねぇ……?」「真琴……」

 恐る恐る声をかけてくる智花と理恵を振り返り、真琴は笑顔で力強く頷いた。

「あたしは大丈夫。さっき言ったこと、頼んだからね」

 そして閉じ込められていた部屋を出て、スーツ姿の女のあとについて歩き出した。

 手術着姿の女のうち、二人が真琴に続く。

 だが、あとの二人は部屋の前に残ったまま、嘲笑するような眼を理恵と智花に向けている。

「……わ、わたしたちは帰らせてもらえるんですねぇ……?」

 智花が恐る恐る言うと、手術着の女たちは、ニィッと眼を細めた。

「その前に、いま出て行った娘の実験を、オマエたちにも見学してもらう」

 

 

 真琴は紫色のスーツを着た女のあとを歩いて行く。

 廊下も壁と天井が白く塗られているが、窓はない。もしかすると地下なのかもしれない。

「……あの、訊いてもいいですか?」

 真琴が声をかけると、女は振り返らずに、笑いを含んだ口調で答えた。

「ええ、どうぞ。アタクシが答えられる範囲で答えてあげる」

「ここはどこで、あなたは何者ですか?」

「ここはアタクシたちの組織の秘密基地。アタクシが誰かは、もう少しあとで教えるわ」

「いま言えないのは、言ったらあたしが逃げ出すと思ってるんですか?」

「逃げてもいいけど、お友達はまだ解放してないわよ。見捨てるつもりならご自由に」

「それなら最初から、あたしが実験台になるなんて言いませんよ。組織って、何の組織ですか?」

「どこの国の法律にも縛られない国際的なグループ。手術室に着いたら、もっとちゃんと説明してあげる」

「手術室? 実験って、何か手術されるんですか……?」

 声に怯えの色が混じった真琴を振り返り、紫のスーツの女は、にんまりと笑った。

「肉体的な苦痛はないわ。それに、アナタなら身体も鍛えられているようだから失敗の危険も少ない」

「危険って、もし失敗したら、どうなるんですか……?」

「そんな心配は、するだけ無駄よ。アナタはもう実験台になるしかないんだから。ほら、そこが手術室」

 その場所はテレビのドラマやドキュメンタリーで見る病院の手術室にそっくりだった。

 天井に大きな丸い照明器具があって、部屋の中央に手術台が置かれて、周りには何かの電子機器がいくつか。

 真琴はこれまで大きな怪我にも病気にも遭わず、手術室に入ったことはなかった。

 生まれて初めてその場所を訪れるのが、怪しげな人体実験のためだとは……

 紫のスーツの女が告げた。

「じゃあ、ケープを脱いで、手術台に上がりなさい」

「は……裸になるんですか?」

 真琴が呆れて訊き返すと、女は、くすくすと笑い、

「いまさら恥ずかしがることないでしょう? そのケープを着せてあげたのは、アタクシたちよ」

「……わかりました、脱げばいいんでしょう」

 真琴は腹いせにケープを足元に脱ぎ捨て、手術台に上がって身を横たえた。

「これでいいですか?」

「ええ。あなた、よく日に焼けてるわね。カッコイイわ」

 女は真琴の身体を無遠慮にじろじろと眺めた。

 くっきりと水着の形状が日焼けせずに残った、きめ細やかな肌。

 仰向けになっても形の崩れない張りのある乳房。腹筋の浮いた臍周りに、恥毛を丁寧に整えた下腹部――

「日焼けが実験に何の関係が……、……痛ッ!?」

 ふてくされて言いかけた真琴が、突然の痛みに呻いた。

 手術着姿の女の一人が真琴に近づき、隠し持っていた注射器の針を首筋に突き立てたのだ。

「なっ、何……!? ねえ、何したの!?」

「神経をブロックするお注射よ。痛みは感じなくなるけど手足も動かせない、実験には最適のおクスリ」

 紫のスーツの女が、にんまりと笑って答えた。

「さて、タネ明かし。アタクシの名前はプリンセス・テンニョ、《ショッカー・ノルド》の大将軍様よ」

「ショッカー!? ショッカーって、だって大昔に壊滅した筈じゃ……!?」

 真琴が唖然として叫ぶと、テンニョと名乗った女は、くすくすと笑い、

「大昔とは悲しくなるわね。若いアナタがショッカーの名前を知ってるのは偉いけど」

「話に聞いただけだけど、改造人間を使って世界征服を目論んだ秘密結社って……」

 真琴は、はっと眼を見開いた。

「まさか……手術って改造!? ねえ、あたしを改造人間にする気!?」

「ご明察。ストレートに改造手術と言うと、あなたたち三人とも拒否するかも知れないでしょう?」

 テンニョは、にんまりと笑って、

「それに成長期の若い子は移植する組織が適合するかリスクもあるから、あえて実験という言い方をしたの」

「やめてよっ! だってショッカーとか改造人間とか大昔の……やだァッ! 改造なんてヤメてよォッ!」

 真琴は悲鳴を上げた。

 だが、手足はまるで動かない。拘束されているわけでもないのに逃げることができないのだ。

「イヤァァァァァッ! 誰かッ、誰か助けてェェェェェッ!! 改造なんてやだァァァァァッ!!」

「アナタとても素敵よ。普段は気の強い女の子が泣きだしちゃう姿って、ゾクゾクするわァ」

 テンニョは「オホホホホ……!」と声を上げて笑った。

「それと勘違いしてるようだから訂正しておくけど、アタクシたちの組織は《ショッカー・ノルド》よ」

「なッ……何が違うのよッ!?」

 喚く真琴に、テンニョは微笑み、

「元はショッカー北極支部の残党だけど、アタクシたちは世界征服なんて高望みはしてないの」

「じゃあ、何が目的よッ!? 何のためにあたしを改造人間にするのッ!?」

「あなたみたいな綺麗な女の子を使った改造人間は高く売れるのよ、《ペット》兼《番犬》として」

 テンニョは再び「オホホホホ……!」と高笑いした。

「アタクシたちが求めるのは富と快楽! それを得るための手段は選ばないの!」

「ねえッ、ヤメてよッ、そんなッ! あたしを改造したってムダだからッ!」

 真琴は必死になって叫ぶ。

「あたしなんて色は黒いしよく男と間違われるし、綺麗とか絶対違うからッ! 全然売れないからァッ!」

「アタクシがアナタを気に入っちゃったのよ。お友達のために自分が実験台になると申し出たアナタをね」

 テンニョは、くすくすと笑い、

「初めは売り物にする改造人間の素体を探してたけど、アナタは勿体ないから、アタクシが飼うことにしたの」

「ふざけないでよッ! 改造とかペットとか……誰かァッ! 誰かいないのッ!? 助けてェェェッ!!」」

 そのとき――手術室にある二方向の出入口の扉が同時に開き、真琴は、はっと息を呑んだ。

 一方の、真琴も先ほど通った出入口からは、車椅子に縛りつけられた理恵と智花が入って来た。

 手術着姿の二人の女が車椅子を押している。

「……真琴っ!」「……真琴ぉっ!!」

 理恵と智花が悲鳴のように叫び、真琴も二人の名を呼ぶ。

「……理恵ッ! 智花ッ!」

 そして、もう一方の出入口からは、手術着姿のもう一人の女が「何か」を載せたカートを押して入って来た。

 真琴には、それが何かわからなかった。

 赤黒かったり艶のある鉛色だったり、いかにも生々しい色合いの、ぶよぶよと蠢いている何か――

「さあ、舞台が整ったわ。アナタが改造人間になるところを、お友達に見てもらいましょうね!」

 テンニョが言って、高笑いした。

「まずは心臓移植からよ! クローン生成した強化心臓を、アナタの胸に埋め込んであげる!」

 運ばれて来たカートには手術道具も載っており、手術着姿の女がメスを手にして真琴の眼前に突きつけた。

 真琴は首を振って泣き叫ぶ。

「やだァッ! お願いッ、ヤメてェッ!! 改造なんてイヤァァァァァッ!! 手術なんてヤダァァァァァッ!!」

 メスを手にした女が、ニッと眼を細め、真琴の乳房の間にメスを突き立てた。

「……アアアアアアアアッ!! アアアアアアアアッ!! イヤァァァァァァァァッ……!!」

 真琴は絶叫した。痛みはない。肉体的には何も感じていない。

 だが、メスは確実に、彼女の身体を抉っている。

 乳房の間から臍の上まで、メスは皮膚と皮下脂肪を深々と切り裂き、真琴の身体から離れた。

「……あぁぁぁぁ、あぁぁぁぁ、あぁぁぁぁっ、あぁぁぁぁ……」

 恐怖の度が過ぎたのか、真琴は虚ろな眼をして、かすれた声を上げる。

「……もうやだぁ……こんなのやだぁ……やめてよぉ……」

 智花は泣きながら眼を背けたが、車椅子の後ろに立つ女に無理やり手術台へ顔を向けさせられた。

「ちゃんと見るのだ。あの娘はオマエたちの身代わりとして改造手術を受けているのだぞ」

「お願いっ、手術なんてやめて下さいっ! 真琴が死んじゃうっ!」

 理恵が叫ぶと、テンニョは、にんまりと笑って答える。

「死にはしないわよ。ここまでの手順は普通の心臓手術と同じだもの」

 メスを置いた執刀医の女は、今度は医療用の鋸をつかんで真琴の胸骨を切り開いた。

 それから、もう一人の手術着姿の女にも手伝わせて、切り口を開胸器で広げて固定する。

 さらに心嚢をメスで切り裂き、脈打つ心臓を露出させた。

「……やだぁッ、お願いィ、もうやめてェ、赦してよォォォ……」

 泣いて哀願する真琴の眼の前に、執刀医の女は今度は、両手で抱えた移植用の臓器を掲げてみせた。

 それは赤黒い肉の塊で、表面には血管であるのか黄色い筋がいくつも走っている。

 そして、その肉塊は単体で生きているかのように、どくどくと脈動していた。

 ――心臓さながらに。

「……ひぃッ……!!」

 かすれた悲鳴を上げた真琴に、テンニョは、くすくすと笑いながら告げた。

「あなたの新しい心臓よ。身体に埋め込んだら、すぐに周りの組織と融合して完全にアナタの一部になるわ」

「……お願い、ペットでも何でも言うこときくから、改造だけは赦して……もうやめてェ……」

 真琴は泣きながら、すがるように言ったが、テンニョは笑顔のまま首を振る。

「ただの人間のアナタに興味はないの。改造人間にしてこそペットとして飼う価値があるのよ」

 テンニョが執刀医の女に頷きかけ、怪物じみた臓器が真琴の胸に押し込まれた。

「あああああっ……あ、熱い……胸が、熱いぃ……!」

 真琴は呻く。

 首から下の感覚を喪っていたのに、異形の臓器を埋め込まれた途端、その部分に熱を感じたのだ。

「心臓が身体に馴染み始めたわ。熱を感じるのは、神経ブロックの効果より移植した臓器の力が強いせいよ」

 テンニョが笑顔で説明した。

「さて、胸の手術のついでに、新しいオッパイも移植しちゃいましょうか。素敵な改造オッパイをね」

「もうやめてっ! これ以上、真琴に酷いことしないでっ!! 真琴が何をしたっていうの!?」

 理恵は真琴を救いたい一心で必死に叫んだ。

「……あぁぁぁぁっ、もうやだぁ、もう帰らせてぇ、怖いのやだぁぁぁ……!」

 智花は恐怖のあまり、すすり泣いている。

 テンニョは理恵たちがどれだけ叫ぼうが意に介さず、にんまりと笑って真琴に告げた。

「人間のオッパイは赤ちゃんに飲ませるお乳を出すけど、アナタのオッパイは毒液のタンクになるのよ」

 それは女としての尊厳を踏みにじる宣告だったが、真琴にできたのは、泣いて慈悲を求めることだけだった。

「……お願い、もうやめて……、……もう、あたしを改造しないで……」

「もう手遅れよ。いま埋め込んだ強化心臓が送り出す血液が、アナタの身体を内側から造り変えていくわ」

 テンニョは得意満面の笑顔で言った。

「放っておいてもアナタは人間ではなくなるの。これから先の手術は、変化を正しい方向に導くためよ」

「たッ……正しいって何よッ!? 勝手に人の身体を改造しようとしてッ、ふざけないでッ……!!」

 喚く真琴を嘲るように、テンニョは「オホホホホ……!」と高笑いする。

「アタクシがアナタを改造人間として完璧にしてあげるわ! 完璧な海蠍(ウミサソリ)女にね!」

「さッ、サソリッ……!?」

 真琴の顔が引きつった。

「……イヤッ! ヤメてよッ、そんなッ……サソリなんてイヤァァァッ!! 悪魔ァッ! 人でなしィィィッ!!」

「オホホホホ! 好きなだけ罵るといいわ! アタクシには褒め言葉にしか聞こえないけどね!」

 テンニョに眼で合図されて、執刀医がカートから移植用の新たなパーツを取り、真琴に示した。

 親指ほどの大きさの塊だった。黄色と紫の斑な色をして、ぬめぬめと照り光っている。

「せっかく形のいいオッパイだから、丸ごと取り替えるのは、もったいないと思って」

 テンニョが説明する。

「乳腺の代わりになる毒液腺だけ移植してあげるわね。海蠍女にふさわしい猛毒オッパイになるように!」

「イヤァァァァァッ! そんなのヤダッ!! ヤメてェェェェェッ……!!」

 真琴は絶叫したが、執刀医はためらうことなく哀れな少女の右乳房の下側にメスを突き入れた。

「ヤダァァァァァッ! アアアアアッ!! アアアアアアアアッ……!!」

 執刀医がメスを動かし、切り口がさらに広げられていく。

 真琴自身に見える角度ではないが、乳房の下から流れ出す血を見れば何をされているかはわかる。

 ニィッと眼を細めて執刀医はメスを置くと、真琴の乳房の中へ毒液腺を押し込んだ。

「アアアアアッ!! あたしの身体にッ!! ヤダッ!! 出してッ!! 変なモノ入れないでェッ……!!」

 だが執刀医は真琴の左乳房の下も同じように切開して、毒液腺を押し詰めた。

「……うゥゥゥッ!! ぐゥゥゥゥゥッ……!!」

 真琴は、ぎゅっと眼をつむって歯を喰いしばる。

 不気味なバケモノじみた心臓に続いて、毒を生み出すという怪しげな器官を身体に埋め込まれてしまった。

 こうして徐々に自分の身体は、サソリの怪物に造り変えられていくのだろう。

「さて、心臓の機能が完全に置き換わったようね」

 テンニョが真琴の胸の切開部を覗き込み、微笑んだ。

 真琴の身体に押し込まれた強化心臓は、すでに大動脈や大静脈など周囲の組織と融合していた。

 ぶよぶよと不気味に脈動しながら、少女を海蠍の怪物へと変える呪われた血を吐き出している。

 一方、真琴の本来の心臓は、どす黒く変色して萎びてしまい、ピンポン玉ほどの大きさになっていた。

「古い心臓はいずれ周りの組織に吸収されて消えてしまうけど、ついでだし切り取ってしまいましょうか」

 テンニョの言葉が合図になり、執刀医は真琴の切り開かれたままの胸にメスを挿し入れた。

「やだァッ! もうヤメてッ! あたしの身体をオモチャにしないでェェェッ……!!」

 真琴は絶叫したが、執刀医は容赦なくメスを振るい、彼女の「人間としての」心臓を抉り取った。

 萎縮しきって黒い塊と化した心臓が、真琴の眼の前に示された。

 真琴は絶望で眼がくらむ思いだった。

「あァァァァァッ……!、あたしのッ、あたしの心臓ッ…!!」

「海蠍女になるアナタに人間の脆弱な心臓なんて必要ないのよ」

 テンニョが笑顔で告げる。

「それと、もうじき人間じみた弱い心も消えてなくなるわ。アナタは身も心も強く完璧な改造人間になるの!」

「ふざけないでッ! 誰があんたの言いなりなんかにッ……殺してやるッ!!」

 真琴は喚いた。

「サソリ女になったら、アンタを殺してやるッ! アタシを改造人間にしたことを後悔させてやるッ!」

「オホホホホ! その調子よ! 怒りや憎しみが改造人間としてのアナタを、より強く美しく変えるわ!」

「……ぐゥゥゥッ……!!」

 真琴は歯軋りする。テンニョの言う通りなのだろう。

 恐怖に囚われていた自分の心を、いつの間にか憎悪が支配している。

 このまま心まで怪物に変わってしまうとしたら、自分という人間が生きてきた意味は何なのか……?

「……もうヤメてぇっ! 智花たちは帰らせてもらえる約束でしょぉっ!?」

 智花が泣きながら叫んだ。

「そのために真琴が残るんじゃないのっ!? 智花は、いますぐ帰らせてよぉっ!!」

「オホホホホ! みんなの犠牲になって改造されてるお友達を置いて、アナタはいますぐ帰りたいわけね?」

 テンニョが念を押すように言って、智花はためらいなく叫ぶ。

「だって、そういう約束でしょっ! 真琴が自分から残るって言ってくれたんだからぁっ!!」

「智花ッ、アンタッ……!」

 真琴の顔が強ばった。

 事実としてはその通りだ。真琴が自分から、みんなの身代わりとして残ると申し出た。

 だが、自分ではなくてもよかったのだ。智花でも理恵でも、三人のうち誰か一人だけ残れば。

 それなのに自分が犠牲になった。恐ろしい手術を受け、おぞましいサソリの改造人間にされようとしている。

 なぜ智花はそれを当たり前のことのように言うのだ? 自分だけ無事に逃げて当然と思うのだ?

 アタシがサソリ女になろうとしているのに、なんであの娘は……!?

「人間は追い詰められると本性が出るわねえ。見ていてホントに飽きないわ」

 テンニョが、くすくすと笑って言った。

「だからアタクシ、改造手術は必ず被験者の意識を保ったまま行なうし、連れがいれば見学させてあげるのよ」

「殺してやるッ!! オマエなんか殺してやるッ!! 殺すッ!! 殺すッ!! 殺すッ……!!」

 真琴が喚き散らして、テンニョは「オホホホホ!」と笑い、

「それはアタクシに向かって言ってるの? それとも、お友達に向かってかしら?」

「みんな殺すッ!! 皆殺しにしてやるッ……!!」

「ま……真琴っ!! やだっ、真琴が真琴じゃなくなっちゃうっ……!」

 理恵が悲鳴のように叫ぶが、あとは言葉が続かず泣きじゃくる。

「オホホホホ! 誰も彼も殺してやりたくてたまらないのね? なら、そのための武器をあげるわ!」

 テンニョの目配せを受けて、執刀医が新たなパーツを真琴に示した。

 鈍い鉛色をしたそれは紛れもなく蠍の鋏脚であった。

 ただし、人間の肘から先ほどの大きさがある。

 テンニョが真琴の右手に触れ、腰をかがめてその甲にキスをした。

「よく日に焼けてるけど、指が長くて綺麗な手。でも、もうお別れよ。海蠍にふさわしい鋏と交換してあげる」

「勿体ぶらないで早くやりなさいよッ!! その鋏でアンタの首を捻じ切ってやるからッ!!」

 憎悪で顔を赤黒く染めて真琴が怒鳴り、テンニョは、くすくすと笑って、

「いい覚悟ね。じゃあ、綺麗なお手手にサヨウナラ」

 執刀医が医療用の鋸を手に、ニィッと眼を細めた。

 鋸の刃を、真琴の右腕の肘のやや上に当てて、ぐっと力を入れて引く。

 切り口から、じわりと体液が溢れた。

 それはもはや人間の赤い血ではなかった。赤黒く濁った、改造人間の体液だった。

「やめてっ! お願い、もうやめて! 真琴が真琴じゃなくなるなんて、そんなのやだっ……!」

 理恵が泣き叫ぶ。

「もうイヤぁっ! 帰らせてよぉっ! 智花はもう関係ないでしょぉっ!? 約束が違うわよぉっ……!」

 智花が喚き散らす。

 その間も鋸は真琴の腕に深く喰い込んでいき、やがて――

 切り離された腕が手術台から転がって、ごとりと鈍い音を立てて床に落ちた。

「……ああああああああっ! 真琴ぉっ……!!」

 理恵が悲鳴を上げる。

「やだぁぁぁぁぁっ! もうやだぁぁぁぁぁっ……!!」

 智花は、ぎゅっと眼をつむって顔を背ける。

 執刀医が鋸を置き、助手役の手術着姿の女に手伝わせて鋏脚を真琴の腕に繋いだ。

「……ぐゥゥゥゥゥッ……!」

 真琴が呻く。

 心臓を埋め込まれたときと同様に、麻痺していた右腕の感覚が鋏脚を繋がれた途端、じんわりと蘇ったのだ。

 かちかちと鋏が噛み合わされた。

「……動くッ!? か……感覚がある!? アタシが、動かせる……?」

 真琴は眼を見張る。

 そう、右腕に繋がれた鋏が動いている。真琴自身の意志に応じるように。

 テンニョは腰をかがめて真琴の顔を覗き込み、少女の髪を撫でながら囁きかけた。

「アナタの新しい腕だもの、思い通りに動いて当然でしょ? じきに完全に馴染むから、もう少し待ちなさい」

「……アタシの、新しい腕……? アタシの思い通りに動く……アタシの武器……?」

 かちかちと右腕の鋏を鳴らしながら、真琴の眼が熱っぽく潤んでいく。

 改造人間の体液が脳まで浸透し、思考が闇に染まりつつあるのだ。

 テンニョは、にんまりと笑いながら力を込めて言った。

「そうよ! 強くて美しいアナタにお似合いの新しい腕、海蠍の鋏よ! とても素敵!」

「……強くて、美しいアタシ……、ウミサソリ女……」

「鋏だけではないわ! アタクシはアナタを、もっと強くて美しい、完璧な海蠍女に変えてあげられる!」

「……もっと強くて美しい、完璧なウミサソリ女に、アタシは変わる……」

「それでもアナタ、まだアタクシを殺したいかしら? 改造手術が終わるまで、よく考えてみることね!」

 テンニョはからかうように、つんっと真琴の鼻の頭を押してから、執刀医に頷きかける。

 執刀医が再び鋸をつかみ、真琴の左腕も肘の上で切断して鋏脚を繋いだ。

 もはや真琴は、抵抗や拒絶、あるいはテンニョへの呪詛を口にしなかった。

 海蠍の怪物へ生まれ変わる呪いの儀式に、従順に身を委ねていた。

 両脚が膝の上で切断され、鋏脚と同様の鉛色をした新しい脚のパーツに置きかえられた。

 見た目はブーツに似たその脚の先には、鎌の刃のような鋭い爪が生えている。

 さらに下腹部が切開されて、子宮と卵巣が摘出された。

 それは人間としての母性を根こそぎ奪い去る仕打ちであったが、真琴は眉ひとつ動かさなかった。

 代わりに怪物の卵を産み出す新しい卵巣を埋め込まれたときは、「はぁっ……」と恍惚の吐息を漏らした。

 移植された器官が身体に馴染む感覚が、もはや心地よかった。

 胸と腹部の切開面が縫合されて、その上に鉛色をした革のようなものが貼りつけられた。

「これはアナタの身体に定着すれば、敵の攻撃を跳ね返す甲殻になるの」

 テンニョが説明する。

 一辺が十数センチほどの甲殻の素材が、真琴の首から下の肌を覆うように何枚も貼り合わされた。

 競泳選手であった少女の引き締まった肉体が、美しい輪郭はそのままに鉛色の甲殻で覆われていく。

 甲殻の素材には正確に継ぎ合わされる部分と、意図的に重ねられる部分とがあった。

 正確に継ぎ合わされた部分は自然に融合し、重ねられた部分を区切りとして節足動物に似た体節を構成する。

 甲殻が皮膚に癒着していく感覚に、真琴は陶然と酔い痴れた。

「……はぁっ……んんっ……んくぅ……んはぁっ……!」

 身体の前面の処置が終わると、執刀医と助手が真琴をうつ伏せにした。

 腰がメスで切開され、露出した尾てい骨に継ぎ合わせるように蠍に似た尻尾が移植された。

 先端に鋭い針を備えたそれは、両腕の鋏や両脚の爪と同様に強力な武器となるだろう。

 それから背中側にも甲殻の素材が貼り合わされて、真琴の首から下で生身の部分はなくなった。

 真琴の身体が仰向けに戻された。

「最後はアナタの可愛い顔を、もっと素敵な海蠍の顔に変えてあげる」

 少女に与えられる最後の改造パーツは、テンニョ自らの手で示された。

 口元を除いて頭部全体を覆うマスク状のものだった。

 全体は鉛色をしており、蠍の体節を思わせる筋がいくつか走っている。

 左右の眼を覆う部分には昆虫の複眼を巨大化したような器官が一対、備わっている。

 頬からは小さな鋏に似た角が突き出しているが、それは蠍の鋏角を象ったものだろう。

 海蠍女にとっては周囲を探知するレーダーアンテナとなり、また獲物を襲う牙ともなる器官である。

 テンニョから説明されなくても、真琴には本能的にそれがわかった。

 何故なら、海蠍女とは真琴自身であるから。ようやく真琴はそれが理解できた。

 アタシは強く美しい海蠍女! その最後のパーツを早く頂戴! より美しく完璧なアタシになるために……!

 執刀医と助手が左右から手を貸して、真琴を起き上がらせた。

 人間の姿のときは麻痺しきっていた身体は、僅かな痺れが残るだけになっていた。

 最後のパーツを与えられることで――完璧な海蠍女に生まれ変わることで、すっかり回復するだろう。

 鎌状の爪が備わった新しい脚を床について、真琴は立ち上がった。

 痺れ以外の違和感はなかった。当然だ。自分の――海蠍女自身の脚で立っているのだから。

 執刀医が真琴から離れて、手術室の隅に置かれていた姿身を運んで来た。

 ブティックに置かれているようなキャスター付きの全身鏡だった。

 真琴はそこに映る自分の姿を眺めた。

 海蠍女にふさわしく変貌した首から下と比べて、人間のままの顔は滑稽でしかなかった。

 テンニョが真琴の後ろに立って、鏡の中から微笑みかけてきた。

「生まれたままの自分の顔は、これで見納めよ。覚悟はよくて?」

「……はい」

 真琴は頷く。否やのあろう筈がない。

「ヤメてぇっ! 真琴っ!! 真琴ぉぉぉっ……!!」

 理恵の悲鳴が手術室に虚しく響く。

 テンニョは、にんまりと笑うと海蠍女の最後のパーツを真琴の頭にかぶせた。

 髪が、眼元が、鼻と頬が鉛色の甲殻に覆われ、真琴は口元以外、人間らしい面影を喪ってしまった。

 いや、その口元さえも肌が蒼白く変じ、唇は毒々しい紫に染まっていく。

「……キシィィィィィィィィッ!!」

 完全な変貌を遂げた海蠍女が、歯を剥き出して笑った。

 彼女が真琴という名の少女であったときからは想像できない、狂気を孕んだ姿だった。

「オホホホホ! おめでとう、海蠍女! 完璧な姿を手に入れたわね!」

 高笑いするテンニョに、くるりと向き直って海蠍女は片膝をつき、頭を垂れた。

「アタシを強く、美しく生まれ変わらせて頂いてありがとうございます、プリンセス・テンニョ!」

「いちおう訊いておくけど、まだアナタはアタクシを殺したいと思っているのかしら?」

 にんまりと笑って訊ねるテンニョに、海蠍女も、ニィッと口角を吊り上げて、

「無知を罪と仰せなら、どうぞ罰を下さいませ。ですが、いまのアタシはプリンセスの忠実な下僕(しもべ)」

「なら、その忠誠を証明してみせなさい。アタクシ、いくら見た目が可愛くても頭の悪い子は嫌いなの」

 テンニョは言うと、車椅子に拘束された少女の一人に視線を向けた。

 海蠍女は、その視線の先を追い、ニィッと笑う。

 笑いかけられた相手――智花は悲鳴を上げた。

「ま……真琴ぉっ!? イヤだぁっ!! こっち来ないでぇっ!!」

「智花も、理恵も……アナタたちには感謝してるわ」

 かちかちと両腕の鋏を噛み合わせながら、海蠍女は智花へ近づいて行った。

「アタシが海蠍女に生まれ変わるチャンスを譲ってくれたんだもんね」

「そ……そうだよぅ! そう思ってくれるなら、早く智花を解放してよぉ、ねぇ……!」

 愛想笑いを浮かべて言う智花に、海蠍女は口元に残忍な笑みを浮かべたまま首を振り、

「ダメよ。アタシは人間ではなくなったけど、アンタへの憎しみの記憶は、しっかり残ってるの」

「に……憎しみって何でよぉっ!? 真琴が自分から身代わりを申し出たんでしょぉっ!?」

「それを当然と思うアンタの身勝手さよ。人間だったときのアタシは、つくづくバカだったわ」

 海蠍女は右腕の鋏を伸ばして、智花の首を挟んだ。

「やっ、やめてぇっ……! 苦しぃっ、苦しいってばぁっ、真琴ぉっ……!」

 泣き叫ぶ智花に、海蠍女は顔を近づけ、

「アンタみたいなクズを、ずっと友達扱いしてやってたんだもの」

「真琴っ! ヤメてっ! そんなの真琴じゃないよっ!」

 叫んだ理恵に、ニィッと海蠍女は笑いかける。

「当たり前でしょ。アタシは海蠍女、もう真琴とかいう人間じゃないんだから」

「助けてぇっ!! ねぇっ、助けてよぉっ!!」

 智花はテンニョに向かって救いを求めた。

「真琴をバケモノにしたんだから、もう充分でしょぉっ!? 約束が違うわよぉっ!!」

「オホホホホ! アタクシ、実験台にならなかった子を必ず無事に帰らせてあげるとは約束してなくてよ?」

 テンニョは嘲るように笑う。

 智花は半狂乱で、たったいま自分がバケモノと呼んだばかりの相手――海蠍女に再び慈悲を願った。

「ねぇっ、真琴ぉっ、友達でしょぉっ!? 悪いのは智花じゃなくて、真琴を改造した人たちじゃないのぉっ!?」

「だから改造されたこと自体は感謝してるのよ、アタシは」

 海蠍女は、ニィッと酷薄な笑みを智花に向けた。

「赦しがたいのはアナタという愚かな人間の存在と、それを友達と思い込んだ人間だったときの自分自身よ」

 そして、左右の胸から紫色の毒液を噴き出した。

「ギャアアアアアアアアアアッ!! ギョァアアアアアアアアアッ……!!」

 全身に毒液を浴びた智花は身を引き裂かれたかのように絶叫した。

「智花っ!! ああっ!! あああああっ……!!」

 理恵も悲鳴を上げる。

 智花の全身が、たちまち紫色に染まった。頭を仰け反らせて白眼を剥いた。

 ケープの袖と裾の先から覗いた手足が枯れ枝のように干からびていく。仰け反らした顔も同じ末路を辿る。

 マスクの下でニィッと眼を細めた手術着姿の女が、智花の車椅子を押して手術室の外へ運び出した。

「……あああああ! あああああ……智花ぁ……!!」

 理恵は、がたがたと震えていた。

 そして海蠍女の視線が自分に向いたことに気づき、びくんっと大きく身を震わせた。

 だが、すぐに諦観したかのように引きつった笑みを浮かべて、言った。

「真琴が怒るのも、当然だよね……。私、真琴なら自分が実験台になるって申し出るとわかってたのに……」

 首を振りながら、うつむき、

「それなのに、黙ってた。真琴を止めようとも、自分が身代わりを申し出ようともしないで。ずるいよね……」

「キシィィィィィィィィッ……!!」

 海蠍女は歯を剥き出して笑った。命乞いなど聞き入れるつもりはないのだろう。

 理恵に歩み寄り、その首へ右腕の鋏を伸ばす。

 だが、テンニョが止めた。

「待ちなさい、海蠍女。お友達の話を聞いてあげるのよ」

「キシィィィッ……!?」

 歯を剥き出したまま振り向く海蠍女に、テンニョは、にっこりと微笑みかけ、

「アタクシが何のために人間を改造してるのだと思う? 自分の頭で考えないロボットは、必要なくてよ?」

「……キシィィィィィ……!」

 海蠍女は、ゆっくりと鋏を下ろした。

 その様子を見た理恵は、哀しげに笑った。

「もう、本当に真琴じゃなくなっちゃったんだね? 真琴だったときの記憶はあったとしても別人なんだね?」

「…………」

 無言で向き直った海蠍女に、理恵は、にっこりと微笑みかけた。

 かつて大事な友達だった相手に。

「でも、真琴じゃなくても覚えてるでしょう? 私たち……真琴と私、小さい頃から、ずっと一緒だった。

中学のときに智花が転校して来て、三人で遊ぶようになったけど、その前はいつも、いつも二人で遊んでた」

「……それが……」

 海蠍女が口を開く。

「それが、どうしたというの……?」

「どうもしないよ。ただの昔話。あなたにその記憶があったとしても、もう思い出す必要もない話。

だって、あなたはこれから、私を殺しちゃうんだから」

 理恵は、くすっと笑って、

「あー、涙が止まんないのに、手が縛られちゃってるから拭けもしないや。頬がむず痒い」

「……くだらない」

 海蠍女は吐き捨てた。

「命乞いにもなりはしない。頭の悪い女はプリンセスのお気にも召さないわ。お許しが出ればすぐにでも……」

「……悔しいのよ! 真琴が真琴だったうちに言えなかったことが!」

 理恵は叫んだ。

「だからせめて真琴の記憶を持ってるあなたに言ってやりたいの! もう何の意味もないことだとしても!」

「……何を言いたいというの?」

 苛立たしげに訊き返す海蠍女に、理恵は泣きながら笑って、

「智花が私たちと一緒に遊ぶようになったきっかけ、忘れてないわよね?」

「くだらなすぎる話ね。アタシ……人間だったときのアタシに、智花がラブレターを寄越したのよ。

女同士で、何を勘違いしたか」

「でも優しい真琴は、ただ断るんじゃなくて、友達としてならつき合ってもいいと答えたんだよね?

本当に真琴は優しかった。それ以来、はっきり言ってトラブルメーカーの智花を、ずっと見捨てなかったもの」

「女のアタシにフラれた智花は、次からはくだらない男を追いかけ回してたわ。つくづく頭が悪い女だった。

プリンセスが見限ったのも当然よ」

 忌々しげに言った海蠍女に、理恵は、くすっと笑って、

「本当はね、私も真琴に告白したかったんだよ? 智花に先を越されて、できなかったけど」

「…………」

 海蠍女は口を引き結んだ。表情が消えた。

 だが、それはもしかすると、彼女に僅かでも人間じみた感情が残っていることの証しかもしれなかった。

 そうでなければ理恵の告白など嘲笑をもって一蹴したことだろう。

 その感情とは、困惑、だ。

 理恵は、にっこりと微笑んだ。

「だって真琴、どんな男の子よりも格好良かったんだもの。それに、真琴は優しいから……」

「…………」

 沈黙している海蠍女に、理恵は笑顔で言葉を続ける。

「智花のラブレターなんて何年も前の話だけど、向こうを断ったのに私にOKの返事はしなかったでしょうね。

少なくとも智花の見てる前では。だから、智花には早く彼氏を作って、私たちから離れていってほしかった。

そうすれば……智花さえいなければ、真琴も私の告白を断らなかった筈だから」

「……馬鹿馬鹿しい」

 海蠍女は口を開いた。

「そんな告白、何の意味もないわ。アタシの記憶にある限り、真琴という人間に同性愛の趣味はないもの」

「そうだとしても真琴は断らなかった筈だし、私の恋人として振舞う努力もしてくれたと思う。

転校して来て三日目で、いきなりラブレターを寄越した智花よりも、私は真琴と、ずっと長いつき合いだもの。

私を傷つけるような返事は、真琴はしなかった……できなかった筈。そうじゃない?」

「くだらない。たとえその通りになったとしても、真琴という人間はアナタを愛してるわけじゃないでしょ?」

「それでもよかった。真琴を他の誰かに奪われちゃうくらいなら」

 笑顔のままで答えた理恵に、海蠍女は再び口をつぐんで――

 しばらくしてから、海蠍女はテンニョに向き直った。

「……プリンセス。アタシには、人間を忠実な下僕……海蠍兵に変える能力が備わっている筈です」

「そうね、そういう風に改造してあげたわ」

 にこにこしながら答えて言うテンニョに、海蠍女は頭を下げ、

「いまここで、その力をテストしてよろしいでしょうか?」

「存分になさい。アナタに自分で考えろと言ったのはアタクシだもの。止める理由はなくてよ」

「ありがとうございます」

 海蠍女はもう一度、テンニョに頭を下げると、理恵を車椅子に拘束していたロープを鋏で断ち切った。

「……真琴?」

 怪訝な顔をする理恵に、海蠍女は告げた。

「逃げてもいいわよ。アナタに……理恵に、まだそのつもりがあるならね。アタシを置いて逃げるつもりが」

「でも、あなたはもう真琴ではないんでしょう?」

 理恵が訊き返すと、海蠍女は、ニィッと口元に笑みを浮かべ、

「アタシを真琴という人間と重ね合わせて見てるのは、アナタ自身じゃないの?」

「逃げなかったら、どうなるの?」

「実験を受けてもらうわ。アタシが受けたのと同じような実験を」

「それを聞かされても私が逃げないと、あなたは思ってるんだ?」

「だから逃げてもいいと言った筈だけど?」

「…………」

 理恵は、ごくりと唾を呑み込んで、言った。

「……逆の立場なら、どうしたかしら? 私が先に改造人間にされて、真琴にも仲間になるように迫ったら?」

「アタシが……人間だったときのアタシなら、どうしたかということ?」

「真琴ならどうしてた?」

「人間のまま死んだほうがマシだと思ったかもしれないわ」

 海蠍女は真顔になり、答えて言った。

「でも、いまみたいに理恵の気持ちを聞かされてたら……たぶん結局、逃げられないでしょうね」

「優しいんだ、やっぱり真琴は」

 理恵は微笑んだ。

「ありがとう。いまはウミサソリ女なのに……ちゃんと真琴の答えを教えてくれて」

「アナタの気持ちを利用したいだけかもしれないわよ。アタシは忠実な下僕を作ろうとしてるんだから」

「それでもいい。下僕でも奴隷でも、私が真琴に選んでもらえたというだけで」

「……そう。それなら、待ってなさい」

 海蠍女は、理恵から一歩、離れて立った。

 肩幅くらいに脚を開き、ぐっと唇を引き結んで、全身に力を入れる。

「……くッ……ぐゥゥゥゥゥッ……!」

 海蠍女の脚の間から、ソフトボールほどの大きさの白っぽい半透明の球体が産み出された。

 べちゃりと、それは床に落ちて弾け、中から鉛色をした蠍のようなモノ――海蠍兵の幼体が姿を現す。

 海蠍女はそれを拾い上げて、理恵に示した。

「これを身体に寄生させてあげる。そして理恵は、アタシの従順な下僕――海蠍兵に生まれ変わるの」

「わかった。ちょっと待って……」

 理恵はケープを脱ぎ捨て、海蠍女の前に裸身を晒した。

 小柄ながら均整のとれた肢体で、胸を張って立ってみせる。

 剣道で鍛えた身体である。段位は高校生としては最高の三段だ。

 真琴が同性に性的な興味を抱いていないことは聞かされた。

 しかし海蠍女であるいまは、改造人間の実験台としてではあるが、この身体を必要としてくれているのだ。

 理恵には、それが誇らしい。

「いいわ。お願い」

 にっこりとして、理恵は海蠍女を促した。

 海蠍女は手にした幼体を理恵の胸元に近づける。

 理恵は微笑みのまま、それを待ち受けていたが――

「……待って」

 不意にそう言うと、海蠍女の肩に手をかけて、背伸びしながら唇を重ねた。

 海蠍女はそれを避けることも、払いのけることもできた筈だが、しなかった。

 理恵は眼を閉じて、しばらく海蠍女の――かつて真琴という名の少女であった相手の唇の感触を味わった。

 それから、いったん唇を離して、

「……愛してる、真琴。この気持ちは、絶対に忘れないから」

 そう囁くと、再び唇を合わせた。

 海蠍女は理恵と唇を重ねたまま、相手の胸に幼体を押し当てた。すると――

 幼体の歩脚が、尻尾が、たちまち長く伸びて理恵の身体に巻きついた。

「……かはァッ……!?」

 頭を仰け反らせて理恵は喘ぐ。

 幼体の胴体もまた巨大化して、理恵の裸身の前面を覆うように、ぴったりと貼りついた。

 伸びた脚と尻尾とは、背中と尻に絡みついて融合する。

 怪物の鋏脚(前肢の大きな鋏)と鋏角(頭部にある鋏状の角)は理恵の頭をめがけて伸びた。

 それは少女の頭を取り巻き、ヘッドギアのような形状で融合した。

「……くゥッ……うゥゥゥゥゥッ……!」

 理恵は呻き、背を丸めて両手で頭を抱え、二、三歩、後ずさる。

 この時点で理恵は、まだ顔と手足は露出したままであったが、その肌が徐々に蒼白く染まっていった。

 両脚は膝から先が鉛色に変じ、皮膚は硬化して指が癒着し、ブーツを履いているようなかたちになった。

 その足先からは、海蠍女のものより少し小ぶりな鎌状の爪が生え伸びた。

 さらに両腕の肘から先も硬化しながら鉛色に染まり、両手は大きく膨らみ、それぞれ鋏を形作った。

 ヘッドギアの下の髪は、ポニーテールはそのままで全体が紺色に変化した。

 最後に、腰から蠍のものに似た尻尾が伸び、その先端から鋭い針が突き出した。

「……くァハッ……!?」

 がっくりと、その場に片膝をついて、荒い息をする。

 肌の色さえ眼をつむれば、伏せた顔は人間の少女の面影を残している。

 左右の二の腕と、両脚の太腿も甲殻には覆われず、生身に近い見た目である。

 しかし鋭い爪の生えた脚、蠍に似た尻尾、何より両腕に備わる鋏は、彼女が何者であるかを示していた。

 もはや理恵という少女の存在は永遠に喪われ、海蠍兵と呼ばれる女戦闘員が、ここに誕生したのだ。

「……はァァァァァッ……!」

 大きく息を吐いて、呼吸を整え、女戦闘員は顔を上げた。

 ニィッと口角を吊り上げて、琥珀色の瞳を主人に――海蠍女に向けた。

「浅ましい真似をいたしました。お怒りなら罰をお与え下さい、御主人様」

「プリンセスの御前よ。以後慎むことね」

 海蠍女が答えて言うと、テンニョは、くすくすと笑って、

「あら、可愛いところを見せてもらえて、アタクシは満足してるわよ」

「ありがたいお言葉。プリンセスの寛容に感謝しなさい」

 海蠍女が言って、女戦闘員は頭を下げる。

「……はい」

「そんな堅苦しくしなくていいのに、ふたりとも。アタクシは《ペット》には寛容な飼い主なのよ?」

 テンニョは、にんまりと笑って言った。

「憎悪の裏返しである愛情もまた、改造人間をより強く美しくするの。ライダーたちとの戦いで学んだ教訓よ。

だから、リエ? いまは主人となった海蠍女――マコトへの愛情を、アナタは決して忘れないこと」

「……はい!」

 女戦闘員――リエは、テンニョへ深く頭を下げた。

 テンニョは海蠍女へ視線を向け、

「それから、マコト? 優しさは両刃の剣よ。使い方を誤らなければ、リエのような忠実な下僕を得られるわ。

でも、それで隙を作ってはダメ。いまのアナタは主人の立場で、お友達への自己犠牲は求められていないの。

それでも何かを守りたいと思うなら、アナタ自身が強くなりなさい」

「……はっ!」

 マコトも片膝をついて、頭を垂れる。

 テンニョは、ふふっと笑い、

「せっかくアタクシの《ペット》にするんだし、ふたりに名前をつけてあげたのよ、リエとマコトって。

人間のときの名前そのままだけど、構わなくてよね?」

「……はっ!」「……はい!」

「いいお返事。素直でとても可愛らしくてよ」

 揃って答えたマコトとリエに、テンニョは満足げに頷くと、手術台の脇で控えていた執刀医に呼びかけた。

「ここの後片付けは任せたわ。それと訓練室へ《標的》を十匹ほど回すように手配して」

「……はい」

 執刀医は、ニィッと笑う。

 テンニョはマコトとリエを振り返り、

「世の中には、いなくなっても誰も困らないクズ人間がいるのよね。さっき殺させたお友達はマシなほう。

ドラッグやアルコール漬けで奴隷にもならない連中だけど、捕まえるのは簡単だから訓練の《標的》に使うの。

せっかく強くて素敵な改造人間になったのだもの……その鋏や爪や毒針で、誰か切り刻んでみたいでしょう?」

「……ええ、ぜひとも」「……プリンセスが殺してもいいとおっしゃる相手なら」

 改造人間となった二人の少女は、ニィッと狂気を孕んだ笑みを見せる。

「オホホホホ! ふたりとも、いい顔よ! それでこそ強くて美しい改造人間だわ!」

 テンニョは勝ち誇るように高笑いしながら、マコトとリエを従えて手術室を出た。

 

【終わり】


足跡帖へ感想を書き記すまたはダメ出しする

 

戦略的後退

無条件降伏