ゴブリン娘はブタじゃない


 

「――黒沢双葉(ふたば)いいます。大阪から来ました。見ての通りゴブリンやけど、仲良ぅしてください」

 二学期の初めに転校して来た女子生徒は、ゴブリンだった。

 黒板の前に立って、にこにこ笑顔で挨拶する。

「ちなみに小学三年までは茨城の水戸にいてたんで、納豆は平気ていうか、むしろ好物やったりします」

 はぁぁぁぁ……

 窓際の前から三番目の席で、白岡一樹はゴブリン女を見やり、ため息をついた。

 エグい身体してるなあ、雌ゴブリンって……

 褐色の肌は日焼けした運動部員と、さほど変わらない。

 ショートボブの髪は、いくらか赤みを帯びているけど、茶髪の生徒が多い中では目立たない。

 顔は丸いけど、くっきりとした眼鼻立ちのおかげで、それなりに可愛いといっていい範囲である。

 だが、髪の間から頭の上に突き出しているのは、三角形で先が折れたピンク色の耳――ブタの、耳。

 制服のブレザーがはち切れそうな丸々とした身体つきも、まるで仔ブタだ。

 しかし服の中身が実は筋肉であろうことは、丈を詰めたスカートから伸びた脚が示している。

 艶やかな褐色をしたそれは、ごつごつと筋肉が隆起しているのだ。

 彼女がブタの獣娘ではなくゴブリンである所以だろう。

 スカートをめくってやれば、腰からは、やっぱりブタに似た尻尾が生えているのだろうけど。

「ほかに好きなものいうと、歌手なら絢香、関ジャニなら緑の人、粉モンならタコ焼きよりお好み焼きですぅ」

 あらかじめ考えてきたのか勝手に口をついて出てくるのか、ゴブリン女は調子に乗って喋り続ける。

 クラスの皆が、くすくすと笑っているのはウケているのか失笑か。

 ……うぜ。

 と、一樹は思った。顔はそこそこ可愛いと思わないでもないけど、こいつのお喋りは、うざい。

「えっと……自己紹介はこんなトコやけど、ほかにみんな訊きたいこと、ある? ある?」

 ゴブリン女は生徒たちにマイクを向ける真似をした。

「何でも訊いてくれてええよ、体重とか答えられへんこともあるけどな。あとスリーサイズも堪忍やけど」

 いや、興味ねーからさ。

 どうせ体重七十キロオーバー、ウエストも七十センチはあるんだろ……

 と、一樹が心の中でツッコミを入れていると。

「そしたら、こっちから指名しよか。窓側の前から三番目の、頬杖ついてる彼。ウチに訊きたいこと、ある?」

 ゴブリン女が、わざわざ指名してきやがった。

 クラス中の生徒が、くすくす笑いながらこちらに注目する。

 テメェッ、黒ブタッ! なに勝手に指名してやがるッ!

 一樹は内心、腹を立てながら、しかし学校では冷めたキャラで押し通しているので、

「……前の学校では、何て呼ばれてたの? 普通に黒沢?」

 あくまで落ち着いて訊いてやると、ゴブリン女は「あはっ!」と声を上げて笑った。

「いややわ、そんなん訊く? 前のガッコの綽名は捨てて来たつもりやってんけど」

 そして笑いながら、べーっと一樹に向かって舌を出してみせ、

「『クロブー』や。由来はまあ、見たらわかるやろ? 言うとくけどゴブリン、ホンマはブタと違うねんで」

 クラス中の生徒が、これに大笑いした。

 一樹だけは笑えずに、むしろ呆れ果てたけど。

 何、こいつ? 自分のブタキャラで笑いをとろうって、完全にオンナ捨ててるじゃん。

 アホくさ……

 転校初日。一樹の双葉への第一印象は、最悪だった。

 しかし双葉の側が彼をどう思ったのかは、この時点での一樹は知る由もないのだった――

 

 

「――なあ、白岡くんてサッカーしてたて聞いたんやけど」

 ゴブリン女の双葉が転校して来て三日目。

 二時限目と三時限目の間の休み時間に、いきなり彼女が話しかけてきた。

 机に頬杖をついて居眠りしていた一樹は、双葉が席に近づいて来たことにも気づいていなかったが、

「……え? ああ……」

 頭の中がぼんやりしたまま視線だけ相手に向けて、曖昧に頷く。

 何だ、このゴブリン女。こっちはオマエに用はないんだけど……

 しかし双葉は一樹の前の空いていた席に勝手に腰を下ろして、にこにこしながら、

「ウチもなあ、サッカーしてたんよ。とゆうても小学校までやけどな」

「あ、そう……」

 一樹は、また曖昧に頷く。ゴブリン女が話しかけてきた理由がさっぱりわからない。

 しかし気のない返事も、双葉はまるで意に介さない様子で、にこにこ笑顔のまま、

「それでな、あのな、相談なんやけど……一緒にJリーグ、観に行かへん?」

「……ほえ?」

 一樹は眼を丸くした。思わず変な声を出してしまったのが恥ずかしくなって、すぐに眉をしかめ、

「……何で?」

「何でて、じぶんサッカー好きやろ?」

 くすくす笑いながら双葉は答える。

「初めは女子の誰か誘おう思てんけど、サッカー知らん子と観ても、おもろないしなあ」

「Jリーグっても、どこの試合、観に行くつもりだよ? セレッソとか?」

「何でセレッソ? ウチが大阪育ちやから? せやったら先にガンバの名前が出て来そうやけどな」

 双葉は、くっくっと苦笑いして、

「まあ、同じJ2には違いないねんけど。観に行きたいんはホーリーホックや」

「……って」

 一樹は相手の顔を、まじまじと見つめ、

「……プリマハム?」

「プリマハムって何でやねん。いや、ホーリーホックの前身がプリマハムなのは知ってるけどな……って」

 双葉は何かに気づいて、けらけら笑いだした。

「セレッソ言うたのも、それでかい。ニッポンハムがスポンサーやから? いややわあ、白岡くん!」

 ばちんっ! と、一樹の肩を思いきりひっぱたく。

「痛ッ!」

 一樹は呻いた。本気で痛かった。ゴブリン女の糞馬鹿力!

 双葉は、けらけら笑い続けながら、

「ゴブリンはブタと違う言うてるやん。ホーリーホックはウチが生まれた水戸のクラブやねんで」

「いや俺、東京サポだし。よその試合は別に興味は……」

「なんやガスサポかいな。ええやん、漢(おとこ)祭りではガスサポにも毎度お世話になってんで」

 双葉は携帯電話を取り出して、ウェブビューアを立ち上げ、

「次節は日曜日の横浜FC戦や。アウェイやけど三ツ沢やから遠ないし、ガスは来週まで試合あれへんやろ」

「そうだけど……」

「なんや渋い顔してはるなあ。チケット代はウチがもつし、スタメシくらいごちそうしたるで」

 にっこりと双葉に笑いかけられて、一樹は答えに困った。

 問題はゴブリン女そのものよりも、先ほどからこちらを見て、くすくす笑っている女子生徒たちだ。

 このゴブリン女、俺をサッカー観戦に誘うことを、ほかの女子に話してやがるのかよ……

 これは慎重な対処が必要だった。迂闊に双葉を怒らせれば、クラス中の女子を敵に回すことになりかねない。

 双葉は転校して来て早々に、クラスの人気者の地位を占めていた。

 一樹には騒がしいだけに思える彼女のお喋りを、特に女子連中が面白がって、もてはやしていたのだ。

 お笑い芸人みたいな胡散臭い関西弁が珍しいだけだろうと、一樹は思っているのだけど。

「……三ツ沢のスタメシで何が旨いかなんて知らねえよ」

 一樹は、ため息まじりに言った。

 双葉の誘いを断るべきではないというのが彼の結論だった。

 このクラスで居心地よく過ごすには、人気者のゴブリン女と仲良くしておいて損はないだろう。

 もちろん、あくまで友達としてのつき合いだ。それ以上、何がある?

「横浜FCがJ1にいた年は、俺まだサッカー部でアウェイまで観に行く暇なかったし」

「スタメシのオススメはウチもよう知らんわ。行ってみてのお楽しみでええやん」

 双葉は一樹のブレザーの袖をつかんで、くいくいと甘えるように引っぱり、

「なあ、頼むわあ、白岡くん。女の子ひとりでアウェイ観戦って寂しすぎるやろ? 一緒に来てえなあ」

「……わかった、行ってやる。言っておくけど俺は観てるだけで、水戸の応援までは、つき合わねえからな」

「ほんま一緒に来てくれるん? ありがとお! 嬉しいわあ!」

 双葉は叫ぶと、一樹の腕にぎゅっと抱きついてきた。

「どわっ!?」

 一樹は思わずのけぞったが、双葉はぐいっと自分のほうへ引き戻す。

 ……むッ、胸ッ! ゴブリン女の胸が俺の腕に当たってんじゃねェかッ!!

 自分のブレザーの袖と相手の制服越しに、意外に柔らかな肉の感触があった。

 仔ブタのような、ぱっつんぱっつんの身体で双葉は一樹の腕に抱きついたのだ。

 腕が胸に触れてしまうことは必然といえるだろう。

「応援はしてくれへんのは寂しいけど、他サポに無理は言えんしな」

 双葉は一樹の腕に抱きついたまま、彼の顔を見上げて、にっこりと輝くような笑顔を見せる。

「せやけど服は青いの選んで着て来てな。ホーリーホックのクラブカラーやねんから」

 一樹は思わず、どきりとした。

 こいつ……もう少し痩せたら、マジで可愛いんじゃねえの?

 それだけにゴブリンであることが、もったいないとも思う。

 贅肉ではなく筋肉で丸っこい体型のゴブリンが、人間のようにダイエットできるわけでもないだろうし。

「……わかった。水色のシャツがあるから、それ着て行くよ」

 動揺を隠して言ってやると、双葉は「あはっ!」と笑って、

「水色はアカンわ、横浜FCの色やん。そないな真似したらウチのオーセンティックユニ無理やり着せたるで」

「そしたらオマエは裸族かよ」

「そうそうゴル裏は裸で気合入れていかんとな……って、何でやねん。ウチの裸は安ないで」

 ばしんっ! と、また肩を叩かれて一樹は呻く。

「痛ッ!」

「ユニは毎年買うてるから何枚もあるんよ。一緒に応援する気になったときのため、予備で持ってったるわ」

 双葉は携帯電話をかざして、にこっと笑い、

「それとな、メルアドと電話番号、交換しとかなあかんね」

「あ……、ああ」

 とうとうメルアドまで教える羽目になってしまった。

 赤外線通信で送った一樹のメルアドを見て、双葉は小首をかしげ、

「……メルアドが『kazu_s0912@』って、もしかして白岡くんの誕生日、九月十二日?」

 ついでに誕生日まで知られてしまった。

「もうじきやないの、えらいタイミングやな。よっしゃ、誕生日祝いに新しいオーセンティック買うたるわ!」

 胸を張ってみせる双葉に、一樹は渋い顔をして、

「いや、いらないから。というかオマエ、どうしても一緒に応援させようって気だな」

「だって、そのほうが楽しいやん。他サポも巻き込んで一緒に応援するのんが漢祭り以来の水戸の伝統やで」

 にこにこと笑っている双葉に、一樹は小さくため息をつく。

 どうしてゴブリン女に、ここまで懐かれたのか。

 顔は可愛いと思わないでもないのに、その体型はどうにかならないのか。

 ゴブリンである以上、どうにもならないのだろうな……と、一樹は嘆息するほかなかった。

 

 

 日曜日は台風が関東地方を直撃して、朝から大雨だった。

 一樹は朝の九時に起きたけど、部屋のカーテンを閉めたままでもどんな天気か雨音でわかった。

 うんざりしながらカーテンを開ける。窓の外は、やっぱり土砂降り。

 さすがにゴブリン女も、この天気でサッカーを観に行くとは言わねえよな……?

 途中で電車が止まるかもしれないし、現地へ着いても試合自体が中止になる可能性だってある。

 携帯にメールが届いていることに気づいて、開いてみると双葉からだった。

『おはよ(^_^)/ 大雨だね(;_;) 試合も延期かも・・・白岡くん雨男と違うよね?(笑)

 とりあえず予定通り10時に駅前のマクドで待ち合わせお願いしますm(_ _)m』

 大雨の中、駅まで出て行くのも億劫だけど、一樹はあきらめて『了解』と返信した。

 

 

 自転車が使えないので早めに家を出て、一樹は徒歩で駅へ向かった。

 Tシャツと短パン、足元はサンダル。Tシャツは青いものを持っていないので紺色にした。

 濡れても上等な格好だけど、駅へ着くまでに、やっぱりびしょ濡れ。

 風が強まってきて、傘が役に立たなかったのだ。

 ゴブリン女との待ち合わせのために、どうしてここまでしなきゃならんのか……

 関西人にはマクド呼ばわりされてる駅前のマックへ着いたのは約束の五分前。

 店の二階の客席を覗いてみたけど、ゴブリン女は来ていない。お客自体が二、三組しかいない。

 こんな天気で出歩く奴が珍しいのだろう。

 朝食がまだなので、ソーセージエッグマフィンのセットを買って、二階の適当なテーブルに着く。

 食べ始めたところで、ばたばたと階段を駆け上がって来た仔ブタのような丸い娘……双葉だ。

「……あぁ」

 客席を見回してこちらに気づき、ほっとした顔で(ドタキャンされるとでも思ったか?)、歩いて来た。

 白いブラウスに、制服のときより少し長めの膝上丈のデニムスカート。相変わらず筋肉質の脚。

 肩からは『mitre(マイター)』のエナメルバッグを提げている。

 肌が褐色なせいもあり、部活がオフの日の女子サッカー部員みたいだ。それにしては、ちょっと太めすぎか?

「ごめんなあ、バスがさっぱり来おへんで。ウチが誘ったのに時間ぎりぎりで、ホンマ申し訳ない」

「というかオマエ、頭から水かぶったみたいじゃん……」

 スカートも水を吸って色が変わっているけど、ブラウスは完全にびしょ濡れで肌に貼りついている。

 百センチあってもおかしくないくらいのデカ乳を包む、白いレースの大人びたブラが透けて見えていた。

「いややわあ、ホンマや。急いで来たから気づかへんかってん」

 双葉は両手で胸を隠して、ぺろりと悪戯っぽく舌を出す。

 一樹は、またどきりとさせられた。

 ヤバい。ゴブリン女が可愛く思えてきた……

「ちょっとお手洗いで、着替えて来てええか?」

「着替えるって……水戸のユニに?」

「それでええなら、そうするけどな。せやけど試合は延期になってもうてん。さっきネットで調べたんや」

「そっか……」

「普通の青いTシャツも用意して来たんよ。白岡くんが空気読めない格好で来たら着替えさせよ思てんけど」

 双葉は、眉間に皺を寄せて一樹のTシャツに顔を近づけ、

「きょうは必要なくなったけど、用意しといて正解やってんな。ウチは青い服、言うたんやで」

「紺でもダメなのかよ」

「アカンわ。もう少し明るい色なら許容範囲やけど、それ濃紺やんか」

「雨で濡れて色が濃く見えるんだろ」

「アホ。濡れてるのんとそうでないのんの見分けくらいつくわ」

「アホって……」

「待っててな。試合中止やからって帰ったらアカンよ。渡したいものがあるんや」

 そう言い残して、双葉はバッグを抱えてトイレへ立ち去った。

 一樹はマフィンを食べながら待つしかない。

 ……それにしても、あいつすげえ乳だな……

 先ほど見たものを思い出して、一樹は、慌てて首を振る。

 おデブ女の乳がデカいのは当たり前である。そんなものに欲情するほどマニアックな趣味ではないつもりだ。

 だが、単純に太っているから大きいといえないほどの高低差も備えていた。

 ブラジャーのおかげかもしれないけど、形も悪くなかった気がする……

 ……って、なに考えてんだ俺は! 俺のアホ!

 相手はゴブリンだぞ。ブタの耳と尻尾を生やした筋肉ダルマだぞ。

 友達としてつき合う分には悪くない奴だけど、オンナとして見るには微妙すぎるだろ。

 双葉が戻って来た。青いTシャツに着替えて、首にホーリーホックのタオルマフラーをかけている。

「白岡くん、タオル使う? タオルマフラー、もう一枚あんねん。頭とか拭いたほうがええよ」

「ああ……じゃあ、借りておく」

 一樹が答えると、双葉はにっこりとして、バッグからタオルマフラーを出して広げてみせた。

「これ見てみ。龍の絵と、漢字で『水戸』の字が入ってるんや。カッコええやろ?」

「俺は東京都民だけどな。いまはオマエもな」

「せやけど水戸はウチの魂の故郷やねん」

「バリバリ関西弁喋ってるくせにな」

「そおだごと言うでねえ、ごじゃっぺが」

「……は?」

 眼を丸くする一樹に、双葉は、くすくす笑いながらタオルを渡してきて、

「茨城弁や。もう半分忘れてるけどな」

「そっか」

 一樹は借りたタオルマフラーで濡れた髪を拭く。

「……で、俺に渡すものって、このタオルマフラーじゃねえだろ?」

「うん。ホーリーホックのシーズンチケットやわ」

「……え?」

「ウソウソ、ホンマはこれや」

 双葉はバッグの中を探って、駅弁の釜飯に似た茶色い壺を引っぱり出した。

 木の蓋を紐で結わいつけてあるところも釜飯に似ている。

「ゴブリンてのは、もともと、戦士の種族なんや」

 壺をテーブルの上に置き、双葉は、じっと真顔で一樹を見た。

「戦士に怪我は、つき物やろ。せやから、それぞれの家に怪我の特効薬がご先祖さんから伝わってるねん」

「……それで?」

 一樹が先を促すと、双葉は、言った。

「それでな。この薬なら白岡くんの膝、完治するとは言わんけど、草サッカー楽しめるくらいにはできる筈や」

「…………」

 一樹は口をつぐんだ。

 何でゴブリン女が、俺の膝のことを知ってるんだ?

 いや、知っていてもおかしくねえか。俺がサッカーやってたことも知ってたんだし。

 クラスには同じ中学出身の奴が何人かいるから、あいつらから聞いたのだろう。

 双葉が言った。

「ウチも小学校でサッカーしてた言うたやろ? でも中学でやめてもうた。魔物は中体連、登録できへんから」

「それは……悔しいな」

 一樹が言ってやると、双葉は頷くように顎を引いて、眼を伏せ、

「悔しいに決まってるわ。ゴブリンは人間より筋力も体力もあるけど、それだけでサッカーが有利と違うやろ」

「……ああ」

「ウチがゴブリンに生まれたんは仕方のないことやし、もう割りきったけどな。せやけど」

 再び双葉は眼を上げて、一樹を見つめ、

「白岡くんの膝は治せるねん。何もかも元通りとは言わんけどな、練習してないブランクもあるし」

「だから草サッカー?」

「頑張ってトレーニングすれば、大学でサッカー部に入って公式戦に出られるくらいになるかもしらんけど」

「そこまでは無理だろ。怪我がなくても三年もブランクがあるんだ。大学サッカーはそこまで甘くねえよ」

「せやけど草サッカーで芝生の上でボール追いかけるだけでも楽しいやろ。せやから、この薬……」

 双葉は壺を一樹のほうへ押しやった。

「…………」

 一樹がその壺を手にとると、少し早口になって双葉はつけ足した。

「……あのな、その薬、使い方が少しメンドいねん。毎日朝晩塗り込んで、包帯きっちり巻かなアカンねん」

「そうなのか?」

「せやからウチがやってあげよか? 普段は学校でできるし、休みの日は、きょうみたいに待ち合わせて……」

 そこまで言って、双葉は俯き、

「毎日朝晩、顔を会わせることになるけどな。ウチは構へんねん、白岡くん次第や」

「……怪我のあと、必死でリハビリやったよ」

 一樹は言った。

「膝の皿が砕けて靱帯も痛めて、かなり酷い怪我だったけど、もういっぺんサッカーやりたくて」

「…………」

 双葉は顔を上げて、一樹を見る。

 一樹は自嘲気味に笑って、

「でも結局、日常生活は支障がない程度に回復したけど、それ以上は無理だった。いや、自分で無理と決めた」

 壺をテーブルに戻す。

「心のどこかに恐怖が残っちまったんだ。あんな痛い思い二度としたくなくて、本気でプレーできなくなった」

「痛いのをゼロにするのは無理やわ」

 双葉は言った。

「せやけど、少しでも痛いのを和らげてあげることはできると思う。その薬と……、ウチとでな」

 そしてまた俯いた。

 肌が褐色なのでわかりづらいけど、人間でいえば顔を赤くしている状態かもしれない。

「……何で俺なの?」

 一樹は訊ねた。

「いま俺たち、一緒にサッカー観に行く友達っていう以上の会話、してるよな?」

「魔物の女の子には本能があんねん」

 双葉は答えて言った。

「人間が支配してる世の中で、数に乏しい魔物が生き残っていくには、ある種の嗅覚を働かせなあかんねん」

「嗅覚?」

 訊き返す一樹に、双葉は頷いて、

「相性ぴったしの相手を見つけ出す嗅覚やわ。魔物の女の子は、それを本能的に備えてるねん」

「オマエと……俺の相性がぴったりだって?」

「一目惚れやねん」

 双葉は眼を上げて、一樹を見た。

 一樹はまたしても、どきりとさせられた。

 彼女の台詞にも驚いたけど、ゴブリンのくせに筋肉ダルマのくせに可愛らしいことに、どきどきさせられた。

「もちろん、ウチはゴブリンや。人間でも魔物でもウチより可愛い女の子はいくらでもいてるやろ、でもな」

 壺を手にとって、

「ゴブリンでもそうやのうても、ウチにしかできへんこともある。白岡くんの膝を一緒に治してくこととかな」

「…………」

 一樹は次の言葉を待ったけど、双葉が黙り込んでいるので、先を促す。

「一緒に治してくこととか……それと?」

「それと? それと……あとは」

 それ以上は考えてなかったのか、双葉は壺をテーブルに戻して、視線を彷徨わせた。

「ええと……なあ、あとは……その」

「……ぷ!」

 一樹は吹き出した。「あはは!」と声を上げて笑った。

「な……何がおかしいねん!」

 叫ぶ双葉に、一樹は笑いながら、

「オマエさ、可愛いよ。うん、すっげえ可愛い」

「なんや、褒められてる気が少しもせえへん」

「褒められ慣れてねえからだろ。可愛いなんて言われることも滅多にないだろうし」

「そないなことあれへん。クラスの女子は、みぃんなウチを可愛いと言うてくれるわ」

「そりゃ実際、可愛いからな性格の面では。みんなに俺のこと、あれこれ訊きまくったんだろ?」

「そら訊かなしゃあないやろ。ウチ、転校生やねんで。白岡くんのこと、よう知らんねんもん」

「それを可愛いって言うんだよ。女子がみんな俺たちのほうを見て、くすくす笑ってたわけだ」

「あのな、ウチの可愛いとこ、性格だけやあれへんで!」

 双葉が語気を強めて、一樹は苦笑いで訊き返す。

「どこだよ? あと頼むから、声はもう少し抑えてな。ほかに客がいないわけじゃねえし」

「ごめん。ウチの可愛いとこは……その」

「ん?」

「……オッパイや」

「あ?」

 一樹は、あんぐりと口を開ける。顔とでも言い出すかと思ったのに、そっちに振ってきたか。

 双葉は拗ねたように口をとがらせながら、上目遣いに一樹を見て、

「ホンマやで。一緒にトイレ行って見せよか? 乳首はピンクやし、乳輪の小っささはきっと予想外やで」

「……いや、いまは遠慮しとく」

 一樹は苦笑いで言った。

「というか、ぶっちゃけすぎだろ、オマエ」

「白岡くんが、ウチの取り柄が性格しかないみたいに言うからや」

 双葉は、くすくすと笑って、

「せやけど『いまは遠慮しとく』てことは、いまでなければウチのオッパイ見てくれると思てええのん?」

「いや、だからオマエ、ぶっちゃけすぎだって……」

 一樹は苦笑いしながら、椅子の上で姿勢を正し、こほんと咳払いしてから真顔になって、言った。

「……あのさ、黒沢」

「うん?」

 にこにこと微笑みながら訊き返す双葉を、一樹は見つめて、

「俺は魔物の女の子とのつき合い方は、よくわからない。だから、オマエを傷つけることもあるかもしれない」

「そんなん怖がってたら、ウチかて人間の男の子とは、つき合えへん」

 双葉は笑って答える。

「ウチは見た目からして人間と違うし。ゴブリンはブタやないてなんぼ言うたかて、耳や尻尾はそっくりやし」

「いや、まあ……ごめん。こないだの『ハム』ネタは」

「ええて。貸しにしとく」

「貸しかよ」

「そのほうが、お互い気がねせんで済むやろ。なんや腹の立つことあれば、怒る代わりに貸しにしといたる」

「オマエ……人間できてんのな。いや人間じゃなくてゴブリンだけど」

 一樹が感心して言うと、双葉は「あはっ!」と笑って、

「ええ女やろ、ウチってば」

「自分でそれを言うのは、どうかと思うけどな」

 一樹も笑って、

「……あのさ、黒沢」

「うん? 何?」

「俺……オマエのこと、好きになってきたみたいだ」

「あはっ!」

 双葉は、にっこりとして、

「それを言うなら、『好きになってきた』やのうて『好きになった』やろ」

「ああ……好きになった」

 苦笑いする一樹に、双葉は微笑み、

「人間は鈍感やねんな。相性ぴったしの相手と出会うても、すぐには気づかへんのんや」

「相性がどうなのかは……正直、まだよくわかんねえけどな。でも、オマエの鼻を信じることにしとく……」

 一樹はテーブルの上に身を乗り出した。

 双葉は微笑みのまま、眼をつむる。

 一樹は、ゆっくりと顔を近づけていき……唇を、重ねた。

「……んっ……」

 双葉が微かに声を上げる。雨で濡れた髪から、シャンプーだかトリートメントだかの甘い香りがする。

 やばい。こいつ、普通にオンナじゃん。人間でもゴブリンでも一緒じゃん。

 しかし積極性は戦士の種族であるゴブリンならではか。

 双葉は自分から唇を緩め、舌で一樹の唇に触れてきた。一樹も舌で応えた。

 互いの舌を、舐めるように絡め合う。一樹はエロビデオの見よう見まねだけど。

 こそばゆいけど不快ではない。舌は濡れているのに熱く火照っている。

 マジでやばい。キスだけでは済まなくなりそうだ。でも、この場所では、まずい。唇を離す。

 とろんと蕩けかけた艶っぽい表情で、双葉は一樹を見つめた。

「白岡くん……一樹くんて呼んでも、ええ?」

「ああ……」

「ウチのことは、双葉て呼んでな。『クロブー』はアカンで」

「……ああ」

 一樹は苦笑いする。色っぽい顔して笑いのネタは忘れないんだな。

 双葉は眼を伏せた。

「……あのな、一樹くん。ウチ、もう抑えきれへん……」

「何を……とは、訊かねえよ。俺も一緒だし」

 一樹が答えると、双葉は再び眼を上げて、

「ウチ……ゴブリンやで。服を脱いだらブーちゃんの尻尾も生えてんねんで。それでも、ええの?」

「でも、胸は可愛いんだろ? 見せてくれよ」

 一樹は言って、苦笑いでつけ足す。

「いますぐって意味じゃねえよ。ここを出てから」

「……アホ。それくらいわかってる」

 双葉は口をとがらせて、一樹は笑う。

「アホ呼ばわりかよ。待ってろ、これ片づけちまう」

 一樹は食べかけのマフィンを口に放り込み、ドリンクで流し込んだ。

 双葉が自分の唇に指で触れ、

「ウチらの初めてのキス……マクドのマフィンの味やねんな」

「ソーセージエッグマフィンな。きっと食うたびに思い出すぜ」

「あはっ! 言うとくけどウチがソーセージ味なのと違うで、味がついてたのんは一樹くんやからな」

 くすくすと双葉が笑って、一樹は苦笑いで、

「誰もそこまで言ってねえよ」

「一樹くん」

「ん?」

「好きや。大好き」

「……ああ」

 一樹は赤くなりながら立ちあがった。トレーを返却場所へ運んで行き、ゴミをクズ入れに捨てる。

 双葉があとについて来て、

「さっきの薬、ウチのバッグにしまっといたで。包帯も用意して来たし、あとで塗ってあげるな」

「ああ、頼む。それで……」

 一樹が何か言うより先に、双葉が横に並んで手の指を絡めてきた。

「……あのな、クラスの子らに聞いてきたんやけど。駅のちょい裏に、ホテルあんねやろ?」

「ああ……、あった、かな……? 電車から、ちらっと見えるやつ」

「ウチから誘うようなこと言って、はしたないと思わんといてな。魔物の女の子は本能に忠実やねん」

「人間の男も一緒だよ。俺らみたいな若い奴が、好きな相手ができたら結局、やりたいことは一つだろ」

「一樹くん、それもういっぺん言うて」

「え? いや、だから俺らみたいな……」

「そのあとや」

「そのあと? だから……」

 一樹が双葉の顔を見ると、双葉は、にこにこと笑っている。

 赤くなりながら、一樹は言った。

「……好きだよ。好きだ、双葉」

「あはっ! ようやっと、ちゃんと好きて言うてくれた、ついでに名前も呼んでくれた」

 輝くような笑顔になる双葉に、一樹は眼を細め、

「オマエ……ホントに、可愛いな……」

 その場でもう一度、唇を重ねた。

 

 

【終わり】


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戦略的後退

無条件降伏