
盟約
淫魔の姫は眼を細め、猫のように舌なめずりした。
「簡単な理屈よ。あたしたちにとって一番のご馳走は、心身ともに健康な人間のオスの精液なの」
「オス……」
人間の王が眉をしかめて、淫魔の姫は、くすっと笑い、
「ごめんなさい。人間の男性、ね。とにかく戯れに人間を傷つけ、命を奪う悪魔どもとは趣味が合わないの」
「それが魔族を離反し、我らとの盟約を望む理由か?」
人間の王は訊ね、淫魔の姫は微笑みで応えた。
「お互いの利益になることだわ」
一年余りに及ぶ魔族との戦争で人間の王国は疲弊していた。
だが魔族の占領地では人間は「玩具」とされ、戯れに命を奪われるとあっては戦い続けるほかなかった。
そうした折に、淫魔の女王の名代を名乗る、可憐な少女の姿をした一匹の淫魔が人間の王の城へ飛来。
人間と淫魔との盟約を持ちかけてきたのである。
「貴様ら……失礼」
人間の王は、咳払いして、
「あなた方とて、年端もゆかぬ人間の子供を戯れに犯すことはあるだろう」
「否定はしないわ。命まで奪うことはしない筈だけど」
淫魔の姫は肩をすくめてみせる。
「盟約が成立した暁には、十三歳未満の人間の子供には手を出さないことを一族のモノに徹底させる」
「子供に限らず人間にとって、淫魔との性行は罪であり穢れだ」
人間の王は、きっぱりと言った。
「あなた方は我々の倫理観とは馴染まない存在なのだ」
「子種を植えつけることだけが人間にとってのセックスの目的なら、娼婦なんて商売は成り立たない筈だわ」
淫魔の姫は冷ややかに笑って言い返す。
「それとも王様は卑しい淫売なんて買わないから関係ない? 妾(めかけ)は囲ったとしても」
「無礼な!!」
傍らに控えていた宰相が叫ぶのを、人間の王は片手を上げて制した。
「なるほど、道理だな」
「陛下!!」
「控えろ。無礼を口にしたのはこちらも同じだ。相手は淫魔とはいえ女王を名乗るモノの名代であった」
「は……!」
宰相は頭(こうべ)を垂れる。
人間の王は言った。
「そちらの条件は何だ? 口約束の同盟ばかりを望むわけではあるまい」
「淫魔の多くは昔ながらの暮らしに戻ることを望んでいるわ」
淫魔の姫は答えて言った。
「人間に化けて人間の社会に溶け込み、娼婦や呪術師として生業(なりわい)を立てることを」
「控えめな望みだな」
人間の王が言うと、淫魔の姫は口元を綻ばせ、
「教会主導と私的制裁とを問わず魔女狩りの禁止を勅令で布告して頂けるかしら? それが第一の条件」
「正体を暴くなということか」
「あたしたちは平穏な生活を求めているの。刺激が欲しいのはエッチのときだけ」
「……次の条件は?」
にこりともしないまま先を促す人間の王に、淫魔の姫は軽く肩をすくめ、
「人間の男性と淫魔の双方が望む場合……これは男性が淫魔の正体を知っている場合だけど」
淫魔の姫は言い添えてから、
「国王の法で彼らの結婚を認めてほしいわ。教会は許さなくともね」
「果たして淫魔と将来を誓い合いたいと望む酔狂な人間の男がいるものかな」
「いままでもなかったわけではないし、これから先は増えると思うわ、だって」
と、淫魔の姫は微笑み、
「あたしたちは、ともに戦う仲間……戦友になるのですもの。戦ってるあたしたちは、格好いいわよ?」
「ふむ……」
人間の王は低く唸った。なるほど、その通りかもしれない。
淫魔の魔法戦士としての能力は相当に高い。それに加えて、男を惑わせるその容姿である。
彼らが味方となれば、兵士たちから女神のように崇められるだろう。
「……淫魔とその子供に家名及び財産上の継承権は認めないという条件を付けさせてもらいたい」
人間の王が言って、淫魔の姫は頷いた。
「淫魔の貴族様が誕生しては困るということね。それは仕方ないわ」
「他に条件は?」
「人間の王族の男子が一世代ごとに一名、淫魔の女王の継承権者に婿入りすること」
「馬鹿げたことを!!」
宰相が声を荒らげた。
「人質を差し出せというのか!?」
「次期女王の配偶者であり、未来の女王の父親よ」
淫魔の姫は視線を人間の王に向けたままで答える。
「父親の影響力は淫魔にとって絶対的なの。だから大抵の淫魔は人里から遠く離れて出産し、子育てをする」
「人間である父親に影響されないようにか」
人間の王が訊ねて、淫魔の姫は頷き、
「両親が……人間の父親と淫魔の母親が相思相愛なら別だけど。娘の淫魔は父親べったりに育って……」
そこで言葉を切った淫魔の姫に、人間の王は先を促す。
「父親に甘えて育ち、どうなるのだ?」
「初めての相手として父親を望むわ。そして実の父親に処女を捧げた淫魔は、父親に絶対的に隷従する」
「父娘(おやこ)で禁忌を犯せというのか」
「そこは淫魔だからと割り切ってほしいわ。ともあれ未来の女王がどれだけ人間に同情的かは父親次第よ」
「淫魔と人間の利害が相反した場合はどうなる」
「それも父親次第。とはいえ淫魔自体が滅びるような命令を女王が下したら、流石に他の淫魔は従わない筈」
「つまり人間と淫魔の利害が一致するように、うまいことやれと言うのだな」
「そういうこと。女王の配偶者に一番求められるのは誠実さだわ。人間と淫魔、双方に対する」
「それはあなたが配偶者に望む条件でもあるのかな。あなたが次代の女王であるなら」
「そういうことになるわね。あたしも誠実であることを夫となる相手に誓うけど」
淫魔の姫は微笑んだ。
「心身健康な男性の精液が一番のご馳走と言ったけど、好きな相手とするエッチが一番健康的だもの」
「あなたの言葉に偽りがないなら、我々は盟友となれるかもしれない」
人間の王は言った。
「こうしている間にも魔族の占領地では、老若男女を問わず我が領民が命を弄ばれているのだ」
「誰を婿入りさせるかの決断はしばらく待つけど、盟約を結ぶつもりなら、淫魔の軍はすぐにでも動くわ」
「淫魔が味方であることを知らしめてもらえるなら、家臣や領民たちも盟約を受け入れやすいだろうな」
「こちらもそのつもり。言葉で盟約と言っても、行動で示さなければ大抵の人間は淫魔を信じないでしょ?」
「一つ訊ねるが、淫魔の側に盟約に反対するモノはいなかったのか?」
「もちろん異論もあったけど、最終的には女王の決断に従うことになった。決断させたのは、あたしだけど」
淫魔の姫は、にっこりとする。
「あなたが話の通じる相手でよかった。盟約は成立するものと思っていいかしら?」
「そうなるように努めよう」
頷いて言った人間の王に、淫魔の姫は眼を細め、
「期待してるわ、『王弟殿下』」
「……ふっ、ふふ」
人間の王――いや、その影武者である王弟は、それまでの冷徹な態度を崩し、やんわり微笑んだ。
「気づいていたんですか、僕が本物の国王ではないと?」
「影武者を仕立てるだろうとは思ってた。淫魔から盟約を持ちかけられても、すぐには信用しないでしょ?」
「僕が国王の弟とわかったのは?」
「人間の王に弟がいるのはわかってたし、あなたは、ただの偽物に見えなかったもの」
淫魔の姫は、くすくす笑う。
「あたしは男に関して勘が働くの。もう一つ直感したこともあるけど、それは言わずにおく」
「何でしょうか、気になりますね」
穏やかな笑みで言う王弟に、淫魔の姫は悪戯っぽく笑って、
「いずれまた顔を合わせる機会があるでしょう。そのときにでも、ね」
淫魔の姫が退出したあと、宰相が王弟に言った。
「まさか殿下自ら、淫魔に婿入りなさるおつもりではありますまいな」
「他に手はないだろう。兄上はともかく、叔父上たち親戚連中に淫魔との盟約を承知させるには」
王弟は肩をすくめて答える。
「あの姫様がどう言おうが、婿殿の立場は実質は人質だよ。淫魔の側も皆が盟約に賛成ではないようだし」
「殿下は国王陛下の右腕たるべきお方ですのに……」
「淫魔の国からでも兄上を助けられるよう、うまいことやるさ。それに悪いことばかりでもないよ」
王弟は笑って、
「あの姫様が相手ならね。どうやら向こうも同じ考えでいてくれるようだし」
やがて人間と淫魔の連合軍は反攻作戦を開始。悪魔族を国土から一掃した。
淫魔の姫に婿入りした人間の国王の弟は、十一匹の娘淫魔に恵まれて夫婦仲睦まじく過ごした。
最期は腎虚で亡くなったのは、淫魔と結ばれた人間の宿命ではあったが――
【終わり】