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みなみやま2009winter韓国その10全州韓屋マウルと南部市場「現代屋」
鄭 銀淑著『マッコルリの旅』を歩く全羅道「酒と食」紀行10 2009「全州韓屋村」 2009「全州韓屋村」 全州韓屋マウル
2009「全州韓屋村」
『全州韓屋マウルマップ』

中央西側に李成桂を祭る「慶基殿」と
「ジョンドン殿洞聖堂」が道路を挟んである。
この道路の東側に「オモクデたしか、梧木台?」が山の上にある。
オモクデからハノクマウルを見晴らせる。
ちょうどオモクデに上る木製階段の工事が行われていた。

驚いたのは、中央南北の道路周辺が再整備が進んでいた。

以前の町の姿とはずいぶん変化している。
さらに南端の川には、新しい橋と橋の上に昔の風情の建物が建つ予定。
大規模な、歴史的町並み保存がすすめられていた。

「歩き方」「旅スケ」掲載『全羅道「酒と食」紀行』
釜山から全羅道/順天・麗水・全州へ。大田・テジョンから釜山へ鉄道の旅。 旅行時期:2009/02 旅行先: 【韓国】チョンジュ(全州), スンチョン(順天)

2009「全州韓屋村」 2009「全州韓屋村」
全州は、みなみやまが好きな街である。
しかも、もう4回目?になる。
しかし、街中をゆっくり歩いたことは少ない。
深夜について、早朝に出ることもあった。

今回も、駆け足だったが、朝の街中の散策時間を楽しんだ。

ヨグアンを出て、南へ向かって裏道を南に下がる。
最初に目に付いたのが、新しく整備中の南北の道路だ。

2009「全州韓屋村」 2009「全州韓屋村」

道路を広げ、家屋も韓屋に新築されている。
車道には石が敷かれ、小川を作り、遊歩道が作られている。
小さな公園や東屋、それに観光案内の標識など、大規模な改修だ。

電柱が撤去され、地下に共同溝が作られている。
朝鮮王朝時代の韓屋を再現しているようだ。
道路の、両側の韓屋の多くは、住宅ではなく店舗として利用できるようになっている。
それ以外にも韓屋を利用した料理店など入るようだ。

2009「全州韓屋村」

しばらく歩くと、「東学革命記念館」に出会った。
以前も見かけたが、前回は閉鎖されたままだった。
今回もまだ未整備のようだが、近いうちに再開されそうだ。

「東学革命」といわゆる朝鮮王朝時代後期の「東学党の乱」のことだ。
「西洋」に反発する「朝鮮の人々」が起こした一揆だ。

「甲午農民戦争」 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (東学党の乱 から転送) 」甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)は1894年(甲午)に朝鮮で起きた内乱である。農民に東学の信者がいたことから、日本ではかつて東学党の乱と呼んでいたが内乱の主体は農民であって、東学の信者ではないため現在ではこの呼び名が公式に使われている。 この戦争の処理を巡って、日本と清国の対立が激化し、日清戦争に発展する。」
「東学:西洋の新しい思想である西学(天主教)とも異なる朝鮮独自の思想体系を成すことを旨とした。 」
2009「全州韓屋村」 2009「全州韓屋村」

20 全州崔氏 始祖 崔群玉・崔均・崔純爵。4派ある。 392,548
 崔群玉系:東州崔氏の崔俊邕の子孫。高麗時代に完山府院君に封じられ、子孫が全州に移る。(高麗貴族)
 崔均系:崔致遠の子孫。高麗の明宗時期の礼部侍郎、尚書。完山君に封じられる。光海崔氏から分離。(高麗貴族)
 崔純爵系:高麗正宗時の門下侍中。完州(現全州) に封じられる。(高麗貴族)
 崔阿系:崔純爵の7世孫。
2009「全州韓屋村」 2009「全州韓屋村」
このような東屋が数箇所作られている。
他に噴水や植物が植えられている。
2009「全州韓屋村」 2009「全州韓屋村」
民家。
道路から土塀を下げて、駐車場を作っている。
完全な復元ではなく、普通の生活が出来る条件のようだ。
2009「全州韓屋村」 2009「全州韓屋村」
写りが悪いが、これはオモクデ。
飲みすぎで登る気合はまったくなかった。

右は、工事中のオモクデへ登る遊歩道。
同じものを順天の渡り鳥飛来地の展望台に登る階段で見た。
2009「全州韓屋村」 2009「全州韓屋村」
2003韓国 夏の旅2 韓国南西部周遊1週間の旅「4 梧木台(オモクデ)から韓屋(ハノク)村を見る」
2009「全州韓屋村」 2009「全州韓屋村」
「ビビンパブの老舗ハングッチプをあとに東へ歩くと韓屋村の北側になる。 ガイドに沿って梧木台へ上るが結構きつい登り。 少し足にきているようだ。平日ということもあって梧木台は静か、韓屋村が一望できる。 2003みなみやま記」


2007冬の韓国みなみやま的ロマンと全州ゲミの旅旅行記10 章  全州の古い町並みを歩く
「初めて全州に来たのは4年前の夏だった。 全州で1泊した。 その時の良かった印象が残った。 次の年の春先に季節外れの大雪の中を全州に来た。 ともに印象深い訪問だった。 しかし、見落としが気になってもう一度歩いてみたかった。 」

2004韓国南西部6日間バス旅行記5 寒波襲来韓国は大雪「 全州で昼食はビビンパプ 」

さて、次は「ハノク(韓屋)マウル(村)」の路地裏探検。

これは、『ソウル路地裏日記』を意識してみたが、正直失敗だった。
全州韓屋村の路地は行き止まりが多いからだ。

2009「全州韓屋村」 2009「全州韓屋村」
しかし、どの韓屋もきれいに壁が塗りなおされており、印象的だ。
皆さんも路地裏に足を踏み入れてはいかがだろうか?

2009「全州韓屋村」 2009「全州韓屋村」
しかしよく見ると、壁も統一されているのではなく、工法や使われている壁材が全部違っているのだ。
これは、意識してなのだろうか。
それとも偶然なのだろうか。

地元の人に聞いてみないとわからない。
2009「全州韓屋村」 2009「全州韓屋村」

2009「全州韓屋村」
以上で路地裏探検は終了。

歴史的建造物保存地区の中央の東西道路に出た。
ここの整備が一番早かったのだ。

しかし、この通りはずいぶん様変わりをしている。
韓屋の飲食店が多くなっているのだ。

これらの店が長い間続くかどうかは微妙だ。

それでも、韓国内の観光客が多く押しかけている様子は想像できた。

2009「全州韓屋村」 2009「全州韓屋村」

このあと、南北の道を川まで歩くことにした。
そして、川沿いに西に行けば「南部市場・ナンブシジャン」へ行くことが出来るはずだ。
この道路沿いにも韓屋が多い。
遊歩道には、小さな川が作られ水が流れている。

2009「全州韓屋村」 2009「全州韓屋村」
もう一度、路地めぐりに挑戦したが、やはりいきどまり。
路地にも卍の印がある。
これも、仏教の寺院のようだ。
2009「全州韓屋村」
そして、鄭 銀淑著書に出てくるこのマッコルリの文字のある韓屋を発見した。
ちょうど四つ角に建っていて道路工事中。
さてこの家屋は、どういう扱いになるのだろうか。
保存なのか、取り壊されるのか?

偶然発見できて少々満足だ。

2009「全州韓屋村」 2009「全州韓屋村」
屋根の下の黄色い看板にハングルで「マッコルリ」
さらに、ガラス戸にもマッコルリの文字がある。

この早朝の時間では、この店は営業しているのか、違うのかは不明。
2009「全州韓屋村」 2009「全州韓屋村」
この道が改修中の東側の道。
2009「全州韓屋村」 2009「全州韓屋村」
これは、すでに通ってきた南北の道路。
改修後はこんな感じになるようである。
2009「全州韓屋村」 2009「全州韓屋村」
川に突き当たる。
橋の工事中だ。

完成図が掲示されている。
白い橋の真ん中に韓屋が立てられている。
休憩所になるのだろうか?
2009「全州韓屋村」 2009「全州韓屋村」
白い建物には「剛○書芸館」

2009「全州韓屋村」
「剛菴書芸館」に飾ってあった、筆を持つ書家のお人形。
「『韓(から)から日記』

水沼啓子さん
横浜生まれ。韓国に関心を持ったのは、たまたま卒論に韓国の経済発展論を選んだことがきっかけ。修士論文のテーマは韓国の現代家族。産経新聞入社後は拉致問題、朝鮮半島問題などを担当。平成9〜10年、ソウルに留学。この世で何よりも愛するものはブランド品でも、お金でもなく、美味しい肴と一緒に飲むお酒! 」




さて、つぎは南部市場。
今日は平日だ。

前回は、日曜日だった。
南部市場は日曜日がにぎわう。

酔い覚ましのコンナムルクッパブを食べに行こう。








2009.3.6みなみやま記
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2008「」